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条件: 渇水

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文政6年の干ばつ

文政6年(1823)、干ばつのため稲の植え付けのできないところが多く、損毛高は116,258石余に及び、最大の凶作となった。この間、家中、郷町でも雨乞いの祈とうが大規模に行われた。(「増田家記」による) 続きを読む

文政6年の干ばつ

文政6年(1823)夏、干ばつ。(「徳島県災異誌」等による) 続きを読む

文政6年の干ばつ

文政6年(1823)大旱、次に大水、損害特に夥し。(「新居郡誌」による)/大干ばつのため凶年、享保に次ぐ災害なり、家中人数扶持になす。(「松山叢談」による) 続きを読む

文政6年の水論

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文政6年(1823)、伊予郡両余戸村・垣生(はぶ)村(3ヶ村)と温泉郡南吉田村が水論、百姓忠七が横死。(「愛媛県農業史」、「余土村誌」等による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

文政6年の干ばつ

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文政6年(1823)、大干ばつ。岡田の大庄屋・木村甚三郎は父又左衛門の遺志を受け継いで、打越下池の新築を請願した。文政10年2月に打越下池の新築の許可を得て着工し、同12年4月に竣工した。(「木村家文書」による) 続きを読む

文政6年の干ばつ・洪水

文政6年(1823)夏2ヶ月干害、秋には大洪水のため、死者43人。(町内4寺院の過去帳調査による) 続きを読む

文政6年の干ばつ・洪水

文政6年(1823)、干ばつ、洪水。(「川之江村大庄屋役用記」による) 続きを読む

文政6年の干ばつ・洪水

文政6年(1823)夏大旱、秋洪水。 続きを読む

文政6年の水論

文政6年(1823)、松山領森松の百姓と大洲領麻生村の百姓が重信川原で水論。(「松山市史料集」、「松山市史」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

文政6年の干ばつ

文政6年(1823)夏から秋にかけて、干ばつ。117,000余町の稲作枯死。収納米が47,000石余減った。10月、丸亀藩は倹約令を出した。(「香川県気象災害史」、「香川県気象史料」、「香川県防災気象要覧」等による) 続きを読む

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