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条件: 渇水

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寛政12年の干ばつ

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寛政12年(1800)10月、土地の干ばつが引き続くことを憂い、岡田の大庄屋・木村又左衛門が打越下池の新築を請願するも許可ならず、引き続き再三再四請願に及んだ。(「木村家文書」による) 続きを読む

寛政12年の干ばつ

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寛政12年(1800)、日照り、白山での雨乞いを藩に願った。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

享和元年の干ばつ

享和元年(1801)、干ばつ。 続きを読む

享和元年の干ばつ

享和元年(1801)、干ばつ。 続きを読む

享和2年の水論

享和2年(1802)、周布郡明穂村と大頭村が川境で水論。(「小松町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

享和2年の干ばつ

享和2年(1802)夏、干ばつにより、財田中ノ村で被害が大きかった。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」、「三豊郡史」、「香川県気象災害誌」、「財田村年表」、「香川県史」による) 続きを読む

享和3年の水論

享和3年(1803)、小沢川村と波岡村の間で水論が起こったが、小沢川下井手から波岡一の井手へ5分(半分)宛分水することで一応落着した。しかし、その後も争いは続き、明治18年(1885)の大審院の判決で、ようやく決着した。 続きを読む

享和3年の水論

享和3年(1803)、吉田領小沢川村と波岡村で水論。(「三間町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

享和3年の干ばつ

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享和3年(1803)、和霊宮にて雨乞い祈祷。(三浦の田中家史料「御書出魁書此外珍事為覚語代々記」による) 続きを読む

享和3年の干ばつ

享和3年(1803)5月から9月上旬まで降雨なく、旱損。 続きを読む

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