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条件: 渇水

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寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)夏、干ばつ。(愛媛県災害年表) 続きを読む

寛政2年の干ばつ

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寛政2年(1790)6月、日照り続きのため、干ばつ。芦脇井堰をめぐって、香東川の東岸(川東)と西岸(川西)との間で水論があった。 続きを読む

寛政2年の干ばつ

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寛政2年(1790)、加茂社で雨乞い。(「加茂社記」による) 続きを読む

寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)7月、大干ばつ、被害74,500石。 続きを読む

寛政2年の干ばつ

寛政2年(1790)7月、干ばつにより、松山藩で米の被害が7,450石に及び、藩庁では領民に対して倹約を続けるように命じた。木浦村では「この年(寛政2年)は旱害で、夏作、秋作とも大きな被害を受けました。」(木浦村年代記)と記されている。 続きを読む

寛政3年の干ばつ

寛政3年(1791)夏、雨なし。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」、「全讃史」による) 続きを読む

寛政3年の干ばつ

寛政3年(1791)、干ばつのため、成合と鹿角が水喧嘩が起こった、横井の堰を切ろうとする成合と、切らせまいとする鹿角の両村が対立した様子は「宇治川の合戦のごとし」であった。(「さぬき一宮郷土誌」による) 続きを読む

寛政3年の干ばつ

寛政3年(1791)、干ばつにより雨乞い。(善通寺所蔵の「御城伽藍雨請御記録」による) 続きを読む

寛政3年の干ばつ

寛政3年(1791)夏、雨なし。(「讃岐国大日記」による) 続きを読む

寛政3年の水論

寛政3年(1791)夏、日照り続きで、7月6日には干ばつの被害を受けた成合村の百姓と鹿角村の百姓との間で水論が起こり、激しい水喧嘩となった。新水戸にある横井の関をめぐって、成合は井堰を切ろうとし、鹿角は切らせまいとして争ったが、ついに成合の方が強くて堰が切り崩... 続きを読む

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