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条件: 渇水

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天明6年の干ばつ

天明6年(1786)、池川地方は干ばつであったが、池川郷と境を接する吾北の村々も池川郷と同じ状況下にあったことは疑いない。池川では餓死者が続出したが、吾北もそうであっであろう。 続きを読む

天明6年の干ばつ

天明6年(1786)6月1日、代官所が九王竜神で雨乞い。(「加茂社記」による) 続きを読む

天明7年の水論

天明7年(1787)、日瀬里(窪田)村の農民が新井手をつくって、内川の梅斉院堰から来住への流水を新田に引いたことから、梅斉院堰掛かりの来住・南久米・北久米三ケ損の農民が実力行使に出て紛糾した。藩の調停を不服とした三ヶ村の農民は大洲藩主に直訴すると称して、大洲領... 続きを読む

天明7年の干ばつ

天明7年(1787)、大干。(「讃岐国大日記」による) 続きを読む

天明7年の干ばつ

天明7年(1787)、大旱。 続きを読む

天明7年の干ばつ

天明7年(1787)、讃岐でひでり。 続きを読む

天明7年の水論

天明7年(1787)から翌8年にかけて、日瀬里村の権名津の新井手をめぐって、日瀬里村と南北久米・来住の各村間で水論があった。南北久米・来住の各村が権名津の新井手に反対したが、藩が天明7年7月に実情調査し、日瀬里村に有利な判定をしたため、南北久米・来住の3ヶ村の... 続きを読む

天明7年の水論

天明7年(1787)、南久米・北久米・来住と日瀬里(窪田)の間で水論。(「久米村誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

天明7年の干ばつ

天明7年(1787)、大干。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」、「全讃史」による) 続きを読む

天明8年の干ばつ

天明8年(1788)夏、干ばつ。(「讃岐国大日記」による) 続きを読む

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