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条件: 渇水

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天明2年~7年の洪水・冷害・干ばつ

天明2年(1782)~7年(1787)、連年の洪水、冷害、干害により、5年間凶作が続き、飢饉のため死者280人。(町内4寺院の過去帳調査による) 続きを読む

天明2年の干ばつ

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天明2年(1782)、大旱。芦脇井堰をめぐって、香東川の東岸(川東)と西岸(川西)との間で水論があった。(「讃岐国大日記」による) 続きを読む

天明2年の強風・干ばつ

天明2年(1782)5月、強風により、麦は実る前にほとんど倒れて、収穫は反当2斗(30kg)にも足りなかった。田植えはできたが、この夏100以上干天が続き、稲はすべて枯死した。 続きを読む

天明3年の洪水・干ばつ

天明3年(1783)、洪水、干ばつにより不作となった。(「田野村誌」等による) 続きを読む

天明3年の洪水・干ばつ

天明3年(1783)、洪水、干ばつにより不作。(「近藤林内日記」、「学校日誌」による) 続きを読む

天明3年の干ばつ

天明3年(1783)、干ばつ、飢饉。西讃はわらびを食う。(「高松藩記」、「庄屋記録」、「讃岐国大日記」による) 続きを読む

天明4年の洪水・干ばつ

天明4年(1784)、洪水、干ばつにより不作となった。天明の大凶作・飢饉。(「田野村誌」等による) 続きを読む

天明4年の干ばつ

天明4年(1784)、干ばつ、虫のため飢饉。(「余土村誌」による) 続きを読む

天明4年の干ばつ

天明4年(1784)6月3日より代官所が大井八幡社、13日池原金毘羅社8俵、19日より波止竜神社、21日遍照院4俵、浜八幡4俵。(「加茂社記」による) 続きを読む

天明5年の水論

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天明5年(1785)、干ばつのため、菖蒲堰の上堰側は高い堰で流水をせき止めたため、下堰側と水論となった。郡役人が仲介に入ったが、十分に解決することができなかったため、翌年5月に奉行所手代重松儀兵衛らが調査して、分木を門樋に立てて、分水量を調整するようにした。 続きを読む

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