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条件: 渇水

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明和7年の干ばつ

明和7年(1770)6月、松山領で干ばつ。郡方、大井寺、献珠院、大井八幡、池原金毘羅、九王竜神へ雨乞い。(「加茂社記」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

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明和7年(1770)閏6月、干ばつのため、寿永寺、八幡宮で雨乞い祈祷。 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)6月、大干ばつ。(「松山叢談」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)6月、干ばつ。(「松山叢談」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)6月から8月にかけて、大干ばつ、大凶作。(「香川用水史」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)閏6月、干ばつ。(大洲領の災害) 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)、干ばつ。(「伊予温故録」による) 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)、干ばつで、163日間雨が降らなかった。田植えができず、畑作に転換する者も出た。田植えした稲も立枯になるという状況であったが、その後の降雨により立枯寸前の稲も活着し、安堵した。 続きを読む

明和8年の干ばつ

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明和8年(1771)の大干ばつにより、下麻生村組頭の窪田兵衛門が死罪を受けるという大水論が起こったことを契機として、伊予市八倉・宮下及び松前町徳丸・出作の共有泉である赤坂泉がつくられた。赤坂泉は、市ノ井手の取水量確保のため、釣吉村庄屋の阿部万左衛門が安永3年(... 続きを読む

明和8年の干ばつ

明和8年(1771)夏、干ばつにより、損毛田3,213石余、畑1,443石余。(「吉田藩」による)6月大に旱す、当年の干害42,343石。(「記抜」による)凶作2年連続、飢に廻り城下で乞食するもの多し。(「清家日記」による) 続きを読む

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