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明和7年の干ばつ

明和7年(1770)、干ばつにより、吉田藩の損毛は田8,222石、畑3,709石、合計11,931石に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)、干ばつにより雨乞い。(善通寺所蔵の「御城伽藍雨請御記録」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)、讃岐で日照りが160日続き、米作は半分となる。(「小神野夜話」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)4月末より163日間、大干ばつ、稲の大半枯死。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」、「三豊郡史」、「香川県気象災害誌」、「財田村年表」、「香川県史」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)4月29日から8月20日まで大干ばつで、稲枯死、大凶作。(「庄屋記録」、「讃岐国大日記」、「高松藩記」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)4月29日から8月20日まで、大干ばつにより、稲枯死。大凶作で、多度津領内損高3,653石(巡見使調査)。(「香川県気象災害史」、「香川県気象史料」、「香川県防災気象要覧」等による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)4月29日から8月20日まで大干ばつ、稲作大半枯死、収穫皆無。(「三豊郡誌」による) 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)5月から3ヶ月間、大干ばつが続いた。稲は枯れ、収穫皆無の所が多かった。数年来の不作続きの上、この干ばつにより、百姓は窮乏を極め、拝借米を歎願して一時をしのいだが、飢饉は翌8年も続いた。「明和の飢饉」という。(「徳島県災異誌」、「徳島県史」、... 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)5月から閏5月、6月、7月に至る4か月間雨が降らず、稲が枯れた。板野郡誌によると、数年にわたって禾穀登らず、百姓一同窮乏して拝借米を嘆願した数が板野郡板東村(現大麻町)だけで110戸に及んだ。 続きを読む

明和7年の干ばつ

明和7年(1770)5月から7月まで、大旱。 続きを読む

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