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条件:高知県 渇水

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昭和31年7月の干ばつ

昭和31年(1956)7月中旬から8月上旬にかけて、県下全般に水不足となり、飲料水にも不自由をする市町村も出た。特に嶺北山間では水田30町歩が枯死したと言われた。 続きを読む

昭和26年の干ばつ

昭和26年(1951)7月20日から8月16日まで、太平洋高気圧におおわれて日照りが続き、本県では36年ぶりの干ばつとなった。被害は水稲29,563反に及んだ。 続きを読む

昭和26年の干ばつ

昭和26年(1951)7月20日~8月16日、優勢な太平洋高気圧におおわれて全国的に日照りが続いた。特に西日本がひどく、本県では36年ぶりの干天となった。被害は水稲29,563反、甘藷41,919反、とうもろこし8,812反に及んだ。 続きを読む

昭和26年の干ばつ

昭和26年(1951)7月20日から8月中旬まで、干ばつ。 続きを読む

昭和24年の干ばつ

昭和24年(1949)8月、干ばつのため、60余日雨が降らず、白干、亀裂、枯死が大半であった。戦後の食糧不足の中、各町村では雨乞い祈願を行った。 続きを読む

昭和24年の干ばつ

昭和24年(1949)7月下旬から8月上旬にかけて、優勢な小笠原高気圧におおわれ好天が続きいた。綜合斗賀野村誌略には「殊に中組、角口、八寺山、薄木方面は稲の枯死多し」と記されている。 続きを読む

昭和24年の干ばつ

昭和24年(1949)、60日余にわたる干ばつのため、稲の枯死が多く、乾電地帯は亀裂が多かった。 続きを読む

昭和24年の干ばつ

昭和24年(1949)、干ばつにより、植え付け後間もない旱田地帯の水稲は大半が枯死した。 続きを読む

昭和24年の干ばつ

昭和24年(1949)、旱害は斗賀野村全村に及び、特に中組角口、入寺山、薄木方面は亀裂が大きく、稲の枯死が多かった。 続きを読む

昭和19年の干ばつ

昭和19年(1944)、大干ばつ。この年、県は7月20日以後でなければ稲の植え付けを許さないという極端な晩奨励を強制したが、偶然大干ばつとなり、各地で植え付け不能の田地が続出しただけでなく、その後も干天が続いたため稀有の大凶作となって平均5割の減収と言われた。... 続きを読む

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