1997件のアーカイブスが見つかりました。
条件:香川県 渇水
昭和14年(1939)、干ばつ。7月23日に県知事は雨乞い祈願を滝宮天満宮で執り行った。(「県政史年表」による)8月3日に県が市町村に、雨乞い祈願の執行を通達した。また、県は応急対策として日の出、日没前に土瓶水をやり、稲を枯死させないよう各戸に通達した。松尾村... 続きを読む
昭和14年(1939)、干ばつのため、8月下旬には県下のため池には貯水がなくなり、仁池も最後の配水について理事、水利監督などが協議し、上法と富熊のどちらからかん水するかをくじで決め、上法が先になった。8月28日、29日(24日、25日とも言われる)に上法地区は... 続きを読む
昭和14年(1939)4月下旬から雨が少なく、6月の梅雨にも全然雨が降らず、7月には炎天が続いた。各地で雨乞いを行ったが、効果はなく、農家は土びん水で稲の枯れるのを防いだ。8月下旬の稲にとって一番大事な穂はらみ期に雨が降ったが、きわめて少量で、また干天が続いた... 続きを読む
昭和14年(1939)干ばつにより、高瀬川をめぐる水論が起こった。平池集落の百姓総出で高瀬川沿いに5m四方の出水を急造し、そこにしみ出る水を水車数台で平池の田地に運んだ。これは岩瀬用水掛の百姓にとっては、用水の量が確保できないため、一大事である。争点は、出水に... 続きを読む
昭和14年(1939)、大干ばつのため、讃岐平野は昭和9年の旱害以上の被害を受けた。9月11日の香川県農務課の調査によると、水稲作付予定面積37,842町のうち作付不能面積1,419町、干害面積30,225町で、被害面積は耕地面積の83%強に達し、米収量は平年... 続きを読む
昭和9年(1934)8月、干ばつにより、被害田20,177ha、枯死田1,081haに及んだ。知事の要請で雨雲喚起のため、善通寺11師団で200発実弾射撃実施。8月30日、県は市町村に対してかがり火を焚き、一斉に雨乞いすることを通達。(多度津測候所・高松気象台... 続きを読む
昭和9年(1934)7月27日から9月7日まで、43日間に32.5ミリの降雨量で、なかでも8月は1.7ミリであった。県下の水稲作付面積35,778町歩のうち、被害田は約6割の20,177町、枯死田1,018町、畑作物を含めて570万円の損害であった。8月28日... 続きを読む