検索結果

1997件のアーカイブスが見つかりました。

条件:香川県 渇水

年代順で並び替える : |

寛文5年の干ばつ

寛文5年(1665)、小豆島で干ばつ。 続きを読む

寛文5、6年の干ばつ

寛文5年(1665)、6年(1666)、二年続きの干ばつで、飢人が多く出たので大阪御蔵から拝借米をした。 続きを読む

寛文2年の干ばつ

image

寛文2年(1662)、大日照りで米がとれなかったが、井の口新田だけは平屋池のおかげで豊作だった。(豊中町の水を求めての歴史) 続きを読む

寛文2年の干ばつ

image

寛文2年(1662)、大干ばつに見舞われた。田はひび割れ、稲は枯死して収穫はゼロであった。ところが、築造から7年間の平屋池を持つ井ノ口新田は、平年作を上回る豊作であった。このため、比地大村の百姓は、京極藩に新池築造を願い出て、藩は郡奉行勝田五郎兵衛に新池築造を... 続きを読む

明暦3年の洪水

明暦3年(1657)5月、大洪水。(「香川県気象災害史」、「香川県気象史料」、「香川県防災気象要覧」等による) 続きを読む

承応3年の干ばつ・洪水

承応3年(1654)午年の大旱。夏日照り、秋大洪水、凶作。(「庄屋記録」、「讃岐国大日記」、「高松藩記」による) 続きを読む

承応3年の干ばつ

承応3年(1654)、大干で、穀登らず。午歳の大干と言う。(「讃岐国大日記」による) 続きを読む

承応3年の干ばつ

承応3年(1654)夏、大旱。 続きを読む

承応3年の干ばつ・洪水

承応3年(1654)夏は大旱、秋は大洪水のため五穀実らず、餓民が多く出た。高松藩では米穀を施して救った。農耕の牛馬が多く餓死したので、藩から金を借りて牛馬を買ったものもある。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」などによる) 続きを読む

承応3年の渇水・洪水

承応3年(1654)、日照り、洪水で、死者が多く出た。 続きを読む

1 156 157 158 159 160 161 162 163 164 165 166 200