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1219件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 渇水

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宝暦5年の干ばつ

宝暦5年(1755)夏、干ばつ、松山領森松村と麻生村の水論。 続きを読む

宝暦5年の風雨・干ばつ

宝暦5年(1755)12月1日、風雨、虫付、干ばつにより、損毛届6,866石余。(「国府叢書」による) 続きを読む

宝暦3年の干ばつ

宝暦3年(1753)正月、吉田で去年の夏からの干ばつにより、田畑損毛4,283石余。 続きを読む

宝暦2年の水論

宝暦2年(1752)6月27日、旱天により、地割れした粕毛(かすげ)井堰掛かりの田を救うために、今在家・来住・南北久米の組頭らが森松村庄屋におもい堰の落水を頼んだが了解が得られなかったため、おもい堰を破壊した。翌28日、森松村から大勢の人足が出ておもい堰をせき... 続きを読む

宝暦2年の水論

宝暦2年(1752)、久米方と浮穴方で大水論。(「久米郷土誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

宝暦2年の干ばつ

宝暦2年(1752)夏期、干ばつにより、損害田畑合計4,283石余。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

宝暦2年の干ばつ

宝暦2年(1752)、干ばつにより、吉田藩の損毛は田畑計4,283石に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

宝暦2年の干ばつ・多雨

宝暦2年(1752)夏は旱害、秋は雨が多く、収穫なし。(「田野村誌」等による) 続きを読む

寛延3年の干ばつ

寛延3年(1750)12月16日、干ばつ。(「松山叢談」による) 続きを読む

寛延3年の干ばつ

寛延3年(1750)12月16日、松山で旱損高42,059石余の旨、御届あり。(「松山叢談(松山年譜)」による) (註)この年、日本気象史料には干ばつを記した文献は皆無である。 続きを読む

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