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条件:愛媛県 渇水

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明和3年の干ばつ

明和3年(1766)7月、旱。(「大洲市史」による) 続きを読む

明和3年の干ばつ

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明和3年(1766)7月~8月、干ばつ、八幡宮雨乞い祈祷。 続きを読む

明和3年の干ばつ

明和3年(1766)6月中旬から7月中まで、干ばつにより、損害田4,093石余、畑2,477石余。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

明和3年の干ばつ

明和3年(1766)6月中旬~7月中旬、干ばつにより、損毛田4,093石、畑2,477石。 続きを読む

明和3年の干ばつ

明和3年(1766)、干ばつにより、吉田藩の損毛は田4,093石、畑2,477石、合計6,570石に及んだ。(「藤蔓延年譜」による) 続きを読む

宝暦14年の干ばつ

宝暦14年(1764)、干ばつのため、温泉郡南吉田村と伊予郡余戸村・垣生(はぶ)村の間で水争いが起きた。 続きを読む

明和元年の水論

明和元年(1764)、伊予郡下三谷村と南黒田村で水論。(「松前町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

宝暦12年の干ばつ

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宝暦12年(1762)6月23日、4月以来雨なし、加茂社で代官所が雨乞い12俵。(「加茂社記」による) 続きを読む

宝暦12年の水論

宝暦12年(1762)夏、麻生・八倉・宮下村ら浮穴24村と水論。 続きを読む

宝暦12年の干ばつ

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宝暦12年(1762)春から雨が十分ではなく、5月に入っても降らず、今治藩内の北方では池の水がないため蒼社川の水を落として漸く田植えを行った。このため別宮大山衹神社で雨乞いをすることになり、酒と弁当を支給して350人ほどで2夜3日の雨乞い踊りを行った。 続きを読む

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