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1219件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 渇水

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寛政元年の干ばつ

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寛政元年(1789)6月、加茂社で雨乞い、代官所10俵、大井八幡社5俵。 続きを読む

寛政元年の干ばつ

寛政元年(1789)5月~6月、干ばつ。(国津比古命神社の「御田植の額」による) 続きを読む

寛政元年の水論

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寛政元年(1789)、菖蒲堰の上堰と下堰の分水をめぐり、水論が起こった。 続きを読む

天明8年の水論

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天明8年(1788)、菖蒲堰の分水をめぐり、北方村と樋口外4ヶ村で水論が起こった。(東温市の水利年表) 続きを読む

天明8年の水論

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天明8年(1788)、菖蒲堰の上堰と下堰の分水をめぐり、水論が起こった。 続きを読む

天明7年の水論

天明7年(1787)、日瀬里(窪田)村の農民が新井手をつくって、内川の梅斉院堰から来住への流水を新田に引いたことから、梅斉院堰掛かりの来住・南久米・北久米三ケ損の農民が実力行使に出て紛糾した。藩の調停を不服とした三ヶ村の農民は大洲藩主に直訴すると称して、大洲領... 続きを読む

天明7年の水論

天明7年(1787)から翌8年にかけて、日瀬里村の権名津の新井手をめぐって、日瀬里村と南北久米・来住の各村間で水論があった。南北久米・来住の各村が権名津の新井手に反対したが、藩が天明7年7月に実情調査し、日瀬里村に有利な判定をしたため、南北久米・来住の3ヶ村の... 続きを読む

天明7年の水論

天明7年(1787)、南久米・北久米・来住と日瀬里(窪田)の間で水論。(「久米村誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

天明6年の干ばつ

天明6年(1786)6月1日、代官所が九王竜神で雨乞い。(「加茂社記」による) 続きを読む

天明6年の洪水・干ばつ

天明6年(1786)、洪水、干ばつにより不作となった。(「田野村誌」等による) 続きを読む

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