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条件:愛媛県 渇水
安政2年(1855)、宇摩地方は大干ばつに見舞われた。井戸は涸れ、池も底をついた。農民たちは雨乞いをしたが効果はなく、峰一つ越した銅山川に流れている水を引き入れることができればと考えた。そこで、三島・中曽根・松柏・妻鳥の庄屋たちが立ち上がり、連名で三島代官所に... 続きを読む
安政2年(1855)、宇摩郡は大干ばつに見舞われ、農民は三島神社、黒蔵淵、水波の峯に出かけて雨乞いをした。庄屋たちは連名で、大川河水利用工事もくろみ書を三島代官所に差し出した。これはノミと鍬で法皇山脈の胴腹をくり抜いて銅山川の水を引き入れようとするもので、銅山... 続きを読む
嘉永6年(1853)5月22日から8月12日まで、夕立、小雨を除いて、雨が降らず、干ばつとなった。各所で雨乞い祈祷が行われたが、旱害がひどく、稲作皆無の所もあったため、今治藩では米麦の貸し付け、検見の延期、年貢取り立ての猶予などにより、領民の救済を図った。(椋... 続きを読む
嘉永6年(1853)5月18日より8月2日まで、雨なし。(「新居郡誌」による)/7月9日、宇和馬場で千人踊りを行い、雨を祈った。(「伊予風水害小史(宇和島覚書)」による) 続きを読む
嘉永6年(1853)5月18日より8月2日まで、干ばつ。8月3日、大風雨、田畑等を損害し凶年なり。(「新居郡誌」による)/7月9日、宇和馬場にて千人踊りをなし雨を祈る。(「宇和島覚書」による) 続きを読む