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条件:愛媛県 渇水

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昭和36年の干ばつ

昭和36年(1961)、異常な干ばつに見舞われ、水不足に耐えかねた田窪、牛淵、野田の農民が田窪井堰に流水を送るため、見奈良神社付近から重信川底をブルドーザーで掘削して流水を変更するための水路を設け、かつ土俵を積んで流水をせき止めた。下林地区としては認めることが... 続きを読む

昭和36年の干ばつ

昭和36年(1961)、異常な干ばつに見舞われ、水不足に耐えかねた田窪、牛淵、野田の農民が田窪井堰に流水を送るため、見奈良神社付近から重信川底をブルドーザーで掘削して流水を変更するための水路を設け、かつ土俵を積んで流水をせき止めた。下林地区としては認めることが... 続きを読む

昭和36年の水争い

昭和36年(1961)、温泉郡重信町の重信川中流で水争い、両岸の農民対立。(「重信町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

昭和35年の干ばつ

昭和35年(1960)7月6日~8月11日、干ばつで、この間の総降水量は3.8ミリであった(伊方中学校観測所)。昭和33年につぐ干ばつで、植え付け完了後の作物も枯死寸前の状態となり、果樹も落葉し、果実の成育は停止した。被害面積713ha余、被害金額4,783万... 続きを読む

昭和35年の干ばつ

昭和35年(1960)7月6日~8月11日までの総降水量は3.8ミリで、植え付け後の作物も枯死寸前の状態で、果樹も落葉し、果実の生育は停止した。飲料水も3日に1回の時間給水となった。被害面積713.3ha、被害金額4,783万円余。(伊方町資料による) 続きを読む

昭和35年の干ばつ

昭和35年(1960)7月~8月、南予地方で渇水。 続きを読む

昭和35年の冬渇水

昭和35年(1960)2月~3月、南予地方で渇水。 続きを読む

昭和35年の水論

昭和35年(1960)、新居浜市大生院新堰で水論。(近藤晴清「愛媛県国領川流域における水利の歴史地理学研究」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

昭和34年の干ばつ

昭和34年(1959)7月7日、干ばつのため県干害対策本部設置。 続きを読む

昭和34年の渇水

昭和34年(1959)6月28日、松山市水道局は水不足に備えて市民に節水を呼びかけた。7月3日、ついに給水制限。夜8時から翌朝5時まで断水。水道局は、4日には昼間断水に切り替え、再び午前10時から午後4時まで旧市内への給水をストップさせたため、水道局の無計画さ... 続きを読む

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