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1219件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 渇水

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享保3年の干ばつ

享保3年(1718)、日照り凶作のため、御公儀(松山藩)から550俵の給付があった。(「越智嶋旧記」による) 続きを読む

享保2年の干ばつ

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享保2年(1717)7月29日、干ばつにより光林寺で雨乞い。(「国府叢書」による) 続きを読む

正徳3年の水論

正徳3年(1713)、久米郡志津川村にて水論。(「伊豫史談」80号による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

正徳元年の干ばつ

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正徳元年(1711)、郡方より大井八幡社で雨乞い。(「加茂社記」による) 続きを読む

宝永7年の干ばつ

宝永7年(1710)、54日間の日照りのため大干ばつとなり、畑半作、900町が干田となった。 続きを読む

元禄17年の水論

元禄17年(1704)、宇和川の名本井手をめぐり、大江村と真土村で水論が起こった。大江村は名本井手に水門をつけて井手水を取水できるようにすることを要求し、真土村はそれに難色を示したが、結局認めることで両村間の話がまとまった。 続きを読む

宝永元年の水論

宝永元年(1704)、宇和郡大江村と真土村で水論。(「伊豫史談」282号による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

元禄16年の干ばつ

元禄16年(1703)夏、旱天のため、重信川左岸で上麻生村(大洲領)・下麻生村(新谷領)の両村と下流に位置する徳丸村・出作村・南神崎村・上野村(松山領)及び八倉村(大洲領)の五ヶ村の間に水争いが起きた。7月21日夜、下五ヶ村の農民が、重信川の流水を両麻生村に引... 続きを読む

元禄16年の水論

元禄16年(1703)、大干ばつに際し、水の少ない神崎・上野・徳丸・出作・八倉の下5ヶ村では稲の生育が危ぶまれた。このため、5ヶ村の農民は7月21日夜に古樋井手の樋を切り割って、一ノ井手に水を落とした。これに対して麻生村の農民が抗議して、水論が7日間に及んだが... 続きを読む

元禄16年の水論

元禄16年(1703)、伊予郡上・下麻生村と下5ヶ村で水論。(「砥部町誌」、「伊豫市誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

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