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1219件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 渇水

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寛延2年の干ばつ

寛延2年(1749)12月7日、夏の干ばつにより損毛届15,792石余。(「国府叢書」による) 続きを読む

寛延2年の水論

寛延2年(1749)、浮穴郡下林村滝の下泉で水論。(「重信町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

寛延2年の水論

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寛延2年(1749)、周布郡大頭・長野村が釜之口井堰で水論。(「小松町誌」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

寛延2年の水論

寛延2年(1749)、宇和郡常定寺村と新城村で水論。(「東宇和郡沿革史」による)(伊予の水論〔水争い〕年表) 続きを読む

延享4年の干ばつ

延享4年(1747)11月24日、夏の干ばつにより損毛届9,810石余。(「国府叢書」による) 続きを読む

延享4年の干ばつ

延享4年(1747)6月、干ばつ。(「明治村誌」、「毛利氏歴要紀略」等による) 続きを読む

延享4年の干ばつ

延享4年(1747)6月、干ばつ。 続きを読む

延享4年の干ばつ

延享4年(1747)6月、干ばつ。(「明治村誌」、「毛利氏歴要紀略」等による) 続きを読む

延享2年の干ばつ

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延享2年(1745)7月、雨乞い。(「加茂社記」による) 続きを読む

元文4年の水論

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元文4年(1739)6月、干ばつにより重信川の流水が減少したため、菖蒲堰の上堰側は堰を二重にして慣行の禁止事項である土砂でせき止めた。このため、下堰側はこの措置の不当を訴えて、北方村庄屋に抗議をした。しかし、上堰側も用水量が不足していたため、話し合いは進まず、... 続きを読む

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