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条件:徳島県 渇水

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昭和37年の干ばつ

昭和37年(1962)9月~10月、台風の影響が全くなく、深刻な水不足となり、電力は底をついた。また、阿波郡を中心とする吉野川北岸地区は農作物の干害が続出し、陸水稲、野菜、果樹の被害額は2億5千万円にのぼった。 続きを読む

昭和37年9月~10月の渇水

昭和37年(1962)9月~10月、少雨により、陸稲、水稲、果樹、野菜に被害。 続きを読む

昭和37年の干ばつ

昭和37年(1962)9月~10月、干害により阿波郡を中心として吉野川北岸で農作物に被害。(徳島気象台の記録による) 続きを読む

昭和37年の干ばつ

昭和37年(1962)9月の降雨量は49.5ミリで平年の5分の1、10月は52ミリで平年の4分の1となり、吉野川北岸地域では陸稲、水稲、野菜、果樹に大きな被害が出た。 続きを読む

昭和37年の干ばつ

昭和37年(1962)9月~10月、台風の影響が全くなく、深刻な水不足となり、電力は底をついた。また、阿波郡を中心とする吉野川北岸地区は農作物の干害が続出し、陸水稲、野菜、果樹の被害額は2億5千万円にのぼった。 続きを読む

昭和37年の少雨

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昭和37年(1962)2月から3月にかけて寡雨の状況が続いた。那賀川上流の長安口ダムは底をつき、この地方の杉苗1万本が全滅、20万本が枯死寸前となった。 続きを読む

昭和37年2月~3月の渇水

昭和37年(1962)2月~3月、少雨。 続きを読む

昭和37年の少雨

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昭和37年(1962)2月から3月にかけて寡雨の状況が続いた。那賀川上流の長安口ダムは底をつき、この地方の杉苗1万本が全滅、20万本が枯死寸前となった。 続きを読む

昭和37年の少雨

昭和37年(1962)2月から3月にかけて寡雨の状況が続いた。那賀川上流の長安口ダムは底をつき、この地方の杉苗1万本が全滅、20万本が枯死寸前となった。 続きを読む

昭和35年の干ばつ

昭和35年(1960)2月21日、干ばつにより農作物被害。(徳島気象台の記録による) 続きを読む

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