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条件: 地震・津波
嘉永7年(1854)11月5日申の下刻(17時頃)、大地震が起こった。中ノ浜に生まれた池道之助清澄の「嘉永七寅年地震津浪記」によると、大地震により人々は立つことも、這い回ることもできなかったが、大地震が静まる否や大津波が来たため、人々はあり合わせの食べ物を抱え... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月5日、南海道沖大震。三災録では、損害が侍屋敷359のうち11焼失、91潰家、254半潰、市郷家数17,469のうち2,460焼失、3,182焼失、2,959潰、8,888半潰、田地21,530石のうち14,121石余損田、7,409汐... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月5日、M8.4の安政南海地震が、安政東海地震(M8.4)の32時間後に起こり、両津波は房総から九州東岸に至る広い範囲に多くの被害をもたらした。高知では3,200余戸の家屋が流失し、死者は370余人、負傷者は180人に達した。徳島で... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日、津島町では7ツ半(午後3時)から暮6ツ(午後6時)前まで、地大いに震い、津波数を知らず。7日4ツ時(午前10時)また大地震、その後も12日29日までやまず、屋根瓦を落とし、道には亀裂ができ、人心兢々としてやまなかった。松山では城... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日、南海道沖大震。夕七ツ時、大地震津浪、中村町家九歩通潰込の上焼失。(中村の「伊与田記録」による)/七ツ時大地震仕候、其夜大ゆり小ゆり共、又三日目大ゆり。(「中村魚市場記録」による)/焼失98軒、潰家144軒、半潰家66軒。(中村目... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日、M8.4の大地震が発生した。「富永家文書」によると、この地震で川向かいの大岩が動き、大石が川の中に落ち込み、家の中では棚の物が落ちるなどした。余震が11日まで続いたため、外に畳や戸板を出し、小屋をこしらえて仮住居にした人も多くい... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日、大地震が起こった。土佐全体で死者372人、負傷者180人、家屋の焼失2,500戸、流失3,200余戸、全壊3,000余戸、半壊9,000余戸に及んだ。「天地の間の事覚附」には、「11月5日7ツ時より、御城下は申すに及ばず、西東浦... 続きを読む