検索結果

2508件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 地震・津波

年代順で並び替える : |

安政6年の地震

安政6年(1859)12月23日、地震。(「高松藩記」、「庄屋記録」、「讃岐国大日記」による) 続きを読む

安政6年の地震

安政6年(1859)12月23日、大地震があった。古老の言い伝えによると、恐怖のあまり、竹やぶ、浜辺などに仮小屋を建てて避難したという。 続きを読む

安政6年の地震

安政6年(1859)12月23日、地震。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」による) 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)11月4日午後4時頃、大地震があり、余震が数日間に及んだ。被害状況などは不詳。(「徳島県災異誌」、「徳島県史」、「徳島県史料年表」、「吉野川」、「松島町史」等による) 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)11月巳の日の7ツ時(午後4時)、突然激しい地震が起こり、約1時間にわたって震動は鳴り止まなかった。人々は戸外に逃げ出したが、強震のために歩行もできず、芋穴や竹やぶ等に避難した。その後余震が10日くらいも続き、村人は仕事も手につかず、ひたす... 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)8月28日、三崎半島東方を震源とする地震が起こり、今治、大洲、西条の地域が破損し、城下及び村落に潰家が生じた。 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)8月25日、伊予、安芸を震源とするM6.4の地震により、郡中で潰家が多数、死者4人、今治の郷町で潰家3戸、死者1人、松山でも門、塀、古家が倒れる。死者あり。宇和島、大洲でも被害。 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)8月25日午前、大地震に見舞われ、夜明けまで30余度の余震があった。「塩屋記録」には、倒れた塀や常夜灯に敷かれて死傷した人の様子などが記されている。 続きを読む

安政4年の地震

image

安政4年(1857)8月25日、大地震、大洲城内処々破損、城下町家2軒潰、154軒大破。道は裂け、石垣は過半崩壊し、天守閣の屋根・壁、城門回り櫓・高欄櫓・台所櫓が大破した。(大洲領の災害) 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)8月25日、地震(M7.25)により、松山で門、塀、古家倒れる。知行100石につき15俵の割合で出米を集め、御下米とした。 続きを読む

1 82 83 84 85 86 87 88 89 90 91 92 251