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条件: 地震・津波

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安政元年の地震

安政元年(1854)11月、大地震、人家傾倒、屋外避難。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月、大地震。(「川之江村大庄屋役用記」による) 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月、大地震が起こり、海岸部で大きな被害が出た。家屋の全壊・半壊は百姓家で1,273軒、土蔵・納屋で1,038軒、郷蔵101箇所、池・堤防・樋の痛んだ所84箇所、田畑・井手・道・橋の痛んだ所202箇所に及んだ。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月、大地震が発生し、余震が7日7夜続いた。住民は竹藪に逃れて日夜をあかしたという。津波は城辺町の海岸をなめつくし、満倉橋から満倉川を500m以上も海水が上流に向かって逆上し、潮の引いた山間に漁船が打ち上げられている様子はみじめだったろう... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月、南海大地震。寅の大変と呼ばれるもので、上ノ加江町史によると、4日9時頃の地震では川筋に潮が差し入る程度であったが、翌5日夕方5時頃山も崩れるほどの大地震が起こり、その後大汐が和田の関まで押し寄せた。上ノ加江では死者は出なかったようで... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、静岡県御前崎沖約70kmでM8.4の地震が発生し、津波が房総半島から土佐湾にかけて発生し、潰滅・焼失家屋は約3万戸、死者は2~3千人と言われている。また、翌5日に室戸の東南東約80kmでM8.4の地震が起こった。この地震は徳島県... 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日、地震が発生した。伊予では、太平洋に面した宇和島領御荘組(現在の南宇和郡愛南町の地域)に最初に津波が押し寄せた。御荘組の死者・行方不明は、外海浦之内深浦1人と平城村1人の計2人であった。本稿では宇和島領御荘組における安政南海地震の... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月、大地震あり、外海浦に津波あり。鳴動は数日に及ぶ。人々は天地にその鎮撫を祈った。 一本松町正木の「蕨岡家文書」によると、11月5日申の下刻(午後4時頃)に大地震が発生し、夜中まで14、5度も揺れたという。また、海辺では津波の被害がひど... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、5日に大地震が発生した。山河内字大越の志茂田家の文書によると、4日午前10時頃に地震が起こり、1時間ほどで静かになったが、翌日夕方、大地震が起こり、家の棟が地につくかと思うほど揺れた。あとで聞けば、津波が来て、北河内村と日和佐村... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、地震が始まった。11月5日には徳島で約1,000戸が焼失して、約200人が死に、小松島でも大火があり、海部地方に津波害のあったことが三好町足代の教法寺過去帳に残されている。また、板野郡誌は岡崎(鳴門)で3割の家が潰れ、2割が焼失... 続きを読む

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