2508件のアーカイブスが見つかりました。
条件: 地震・津波
安政元年(1854)11月5日、南海道沖を震源とする地震が起こり、津波を伴った。土佐では市郷の潰家、半潰家、流失、焼失合わせて18,000軒、死者372人の被害が出た。土佐沿岸で特に浪害の甚だしかったのは宇佐浦、須崎、手結、浦屋須浦、下田浦、下の加江等で大部分... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月5日17時頃、地震。封内人家倒るるもの3,000余、海南郡諸浦海溢れ家屋漂没し、人畜多く死す。(「蜂須賀家記」による)/このほか「阿波藩民民政資料-板野郡中財家文書」、「相生村史」、「勝浦郡誌」、「吉野川」、「元木文書」、「宍喰浦旧記... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月5日17時頃、地震。封内人家倒るるもの3,000余、海南郡諸浦海溢れ家屋漂没し、人畜多く死す。(「蜂須賀家記」による)/このほか「阿波藩民民政資料-板野郡中財家文書」、「相生村史」、「勝浦郡誌」、「吉野川」、「元木文書」、「宍喰浦旧記... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日、南海地震が起こり、津波による被害が発生した。この研究では、四国の歴史津波(慶長、宝永、安政)の津波高について、文献調査及び現地調査を実施し、各津波の挙動に関する考察を行っている。なお。現地調査の結果として、愛媛県宇和島市、高知県... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日16時35分頃、地震が発生した。高知県の被害は流家3,818軒、全壊4,815軒、破損家10,289軒、焼失家屋3,301軒、死者372人であった。この地震による被害の特徴は地震の発生時刻が夕方であったため、火災が多かったことと、... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月5日、南海道沖大震(M8.4)。/11月5日大地震あり、7日7夜はげしき震動おさまらず人々家を出、雨戸を田圃にしいて揺れの鎮まるを待つ。石に打たれて死するもの相当あり。便所のたまりに「こえ」は一ひちゃくもなくなったと記されている。(「... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月5日申の刻、大震あり、時々微震は絶えざりしが、夕方に至り雨を催し、最早強震はせざるものと信じて避難者も帰村したるも、なお家には入らず、伊都多神社の境内または路傍等に小家掛けをなし老人小児を寝臥せしむ。 続きを読む
安政元年(1854)11月5日申時(午後4時頃)の地震が徳島城下で最も大きな被害をもたらしたのは火災であった。地震の発生が冬であり、本震が最も火を使う夕方(申刻)であったため、地震で倒壊した家屋から出火した。さらに多くの人が津波等の被害を恐れすぐに近隣の山へ逃... 続きを読む