2494件のアーカイブスが見つかりました。
条件: 地震・津波
宝永4年(1707)10月4日午後2時、大地震が起こった。山は落ちて丘となり、川は埋まり、家が倒れ、下敷きになって死傷した人畜は数知れなかった。地震の後には津波が来ると言われていたところ、午後3時に大津波が来て海岸集落が流された。津波は午後3時から翌朝5時... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、大地震があり、津浪のため、御家中の中ほどまで潮入したほか、道路が亀裂し、建物が破損した。余震が続いたため、宗純は医王寺に避難滞在したとの記録がある。 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、地震(M8.4)が発生した。高野文書によると、国中損失流家11,067軒、壊家5,608軒、破損家1,762軒、損他45,070石、死傷1,760人であった。 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日正午頃、M8.4の大地震が起こった。土佐藩から幕府への訴えによると、損害高は家屋流失11,167軒、潰家5,608軒、死者1,844人、死牛馬548疋、損田45,170戸石余等に及んだ。須崎の被害は、「須崎八幡宮木札」によると、損... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日14時前、大地震が起こり、家屋は倒壊した。また、山や崖も崩れ、地割れが起こった。宿毛では地震により大火事が発生した。土佐国内の被害家屋は全壊4,855軒、半壊1,742軒、地震による死者は100~50人となっている。津波は余震が断... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、M8.4の南海地震が起こり、「愛宕山の麓にて鯖、鯱、王余魚(かれいの類)などとおびただしく取し」と記録にあるように、大規模な津波に襲われた。その被害は流家11,170戸、潰家1,742戸、死者1,844人(男561人、女1,28... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、わが国最大級の東海・東南海・南海地震が同時に起きた。この冊子には、宝永地震に関する石碑等として、海陽町浅川の観音堂「地蔵尊台石」及び「宝永ノ津波碑」、鞆浦の大岩「慶長・宝永地震津波碑」に関する情報が掲載されている。 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、M8.6の地震による大津波が四国沿岸域に壊滅的な被害をもたらした。宝永地震による愛媛県の死者は、宇和島12人、吉田12人、松山2人に及んた。この稿では、四国の宝永地震・津波に関する史料およびそれに基づき実施した現地調査結果をもと... 続きを読む