2494件のアーカイブスが見つかりました。
条件: 地震・津波
永正9年(1512)8月、津波により宍喰で被害があったことが「宍喰浦旧記」に記されている。しかし、同月には他地方で大地震の記録が残っていないため、これは暴風雨による海嘯であると信ずる。宍喰浦旧記は、後世の作でもあり全部正確なものとは信じがたい。人数も多すぎるよ... 続きを読む
永正9年(1512)8月、大津波が襲来し、宍喰浦中が残らず流出した。城山(愛宕山)に上った人は数十人であった。南橋より向こうの町(正梶地区)は残らず流失したが、山が近いため人命の被害は少なかった。橋より北の町は、家の被害は多くなかったが、死者は多く出た。死者は... 続きを読む
永正9年(1512)8月4日、幻の津波。宍喰で3,700余人の死者を出したと地元の記録にあるが、他の地では記録が見つかっていないため「幻の津波」とされている。(「宿命の浅川港」による) 続きを読む
永正9年(1512)8月4日、津波が宍喰を襲い、宍喰浦で3,700余人の犠牲者が出て、1,500余人は助かったという。この時代には、城や宍喰の中心は現在の正梶の地にあったが、津波により街が壊滅したため、その後現在の愛宕山に城を移したと言われている。なお、この永... 続きを読む
永正9年(1512)8月4日、津波。ただし、この日は地震も風水害もなく、あるいは外国地震による津波か。「宍喰浦旧記」には「八月洪浪入みち右所の分残らず流失いたし候、其節所の城山へにげ上がる者数十人なり、南の橋より向の町分も残らず流失、然れども此所は山近故多くの... 続きを読む
永正9年(1512)8月4日、津波。「宍喰浦旧記」には「八月洪浪入みち右所の分残らず流失いたし候、其節所の城山へにげ上がる者数十人なり、南の橋より向の町分も残らず流失、然れども此所は山近故多くの人死もこれ無く候、橋より北分は町家多くいたみも之なく候へども死人多... 続きを読む
永正9年(1512)8月4日に宍喰浦を襲った津波では、多くの人的被害を出したことが「震潮記」に記録されているが、これ以外には確認されていないため、「幻の津波」とされている。本研究では、永正津波の原因が海底地すべりであると仮定し、海底地形調査により地すべり地形を... 続きを読む
永正9年(1512)8月4日、海部郡宍喰浦は津波被害を受けた。この日、近国の地震や風水害もないので、外国地震による津波かもしれない。「海部郡誌」には「宍喰浦旧記に記したる主文を掲げるが、後世の作であり、旁々全部正確なものとは信じがたい、人数なども余り多過ぎるよ... 続きを読む