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2494件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 地震・津波

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安政4年の芸予地震

安政4年(1857)8月25日、27日、伊予灘を震源とする大地震が発生し、大洲城内西門、高欄、櫓、千間塀が崩れた。(「大地震荒増記」による)郡中三町では4人が圧死し、数日間避難が続いた。(「塩屋記録抄」による) 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)8月25日、伊予灘を震源とするM6.4の地震により、三崎半島に被害が出た。 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)8月25日辰下刻、松山で大地震。家中に出米のうち知行100石につき15俵ずつの割合で御下げ米あり。(「松山叢談(池内家記)」による)/強震により、7昼夜地方民は兢々として安心していることができず、家を閉じて竹林に避難した者もいた。(「新居郡... 続きを読む

安政4年の安芸・伊予地震

安政4年(1857)8月25日、安芸・伊予地震(M7.3)により、八幡浜市付近で被害。 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)8月25日午前9時頃、伊予全域を襲った大地震が起こった。「松山叢談」によると、この地震のために家中からの差上米を100石に5俵の割合で軽減したとあるので、松山城下での被害も大きいものであった。伊予郡西高柳村の「大西家永代日記覚」によると、家... 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)8月28日、三崎半島東方を震源とする地震が起こり、今治、大洲、西条の地域が破損し、城下及び村落に潰家が生じた。 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)11月巳の日の7ツ時(午後4時)、突然激しい地震が起こり、約1時間にわたって震動は鳴り止まなかった。人々は戸外に逃げ出したが、強震のために歩行もできず、芋穴や竹やぶ等に避難した。その後余震が10日くらいも続き、村人は仕事も手につかず、ひたす... 続きを読む

安政4年の地震

安政4年(1857)11月4日午後4時頃、大地震があり、余震が数日間に及んだ。被害状況などは不詳。(「徳島県災異誌」、「徳島県史」、「徳島県史料年表」、「吉野川」、「松島町史」等による) 続きを読む

安政6年の地震

安政6年(1859)12月23日、地震。(「讃岐国大日記」、「高松藩記」等による) 続きを読む

安政6年の地震

安政6年(1859)12月23日、大地震。(「香川県政史年表」、「香川用水史」、白鳥町広報・資料による) 続きを読む

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