2494件のアーカイブスが見つかりました。
条件: 地震・津波
安政元年(1854)11月5日申の中刻、紀伊水道南方でM8.4の巨大地震が発生し、津波を引き起こした。西宇和郡の被害については記録がないが、「愛媛県管内津波被害調書」によれば、津波が到達した高さは、三瓶町及び川之石町では平均潮位より3.5m、伊方村では4.0m... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日七ツ時(午後4時)、大地震が起こった。民家では夕食のため炊事中だったので、倒壊した家屋からたちまち出火し、さらに津波が押し寄せて下知の堤防が切れて、下町一帯に浸水した。被害は、流失家屋1,676戸、倒壊家屋568戸、死者106人に... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月5日、大地震が起こった。寅の大変と言われる。「甲寅大地震御手許日記」によると、夕方地震が起こった後も、日没までに2回、夜中に7、8回も地震があり、宿毛の町の家は大半がつぶれ、その上火災が発生して、大変な騒動になった。その後、津波が押し... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日、南海地震が起こり、津波による被害が発生した。この研究では、四国の歴史津波(慶長、宝永、安政)の津波高について、文献調査及び現地調査を実施し、各津波の挙動に関する考察を行っている。なお。現地調査の結果として、愛媛県宇和島市、高... 続きを読む
安政元年(1854)、安政南海地震により、有間の大崩壊があったと言われているが、記録に乏しく、その規模等の詳細は分かっていない。この研究では、過去の南海地震の斜面災害について歴史資料及び現地調査に基づき、南海地震の斜面災害の特徴が報告されている。 続きを読む
安政元年(1854)11月5日午後5時頃、大地震が起こった。8、9度の大津波に見舞われた宇佐町では、死者70余人、残った家はわずか60、70軒であった。宇佐には「安政津波の碑」が建立されており、「この時山を目当てに逃れしものは皆命を助かる。船に乗り難を遁れとせ... 続きを読む
嘉永7年(1854)11月5日昼7ツ時大地震があり、その上大津波により、御城下、御家中、町内で潰家数軒あり、怪我人も少々出た。当浦にも津波が来て、3、4尺程上がり道場寺の庭先まで波先が到達し、昼夜とも2、3べん差し込んだ。御庄組では格別の事はなかったものの、貝... 続きを読む