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2494件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 地震・津波

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安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日朝方、東海道沖で強震があり、土佐でも震動を感じ、鈴浪があった。翌5日午後4時過ぎに南海道沖で大地震が起こり、大津波が来襲した。入野の加茂神社境内にある「安政津浪の碑」によると、地震により瓦屋、茅屋とも家は全て倒壊したこと、津波は7... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、大地震があり、松山地方ではさほどではなかったものの、3日後の11月7日に道後温泉の湯が止まった。途方に暮れる道後の街は悲惨その極地に達しが、結局宝永4年(1707)の地震の時と同じく、年明けて2月末日に再び湧出した。その間は、川... 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月4日、東海・東山・南海の諸道で大地震があり、津波も大きかった。倒壊・流失家屋は8,300戸、焼失300戸、死者1,000人を出した。翌5日、さらに大きな地震があり、五畿七道にわたり、被害は住家全壊1万余、焼失6,000戸、土佐・紀伊・... 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、南海大地震が発生した。高知県全域の震度は宝永地震と同じ震度6の烈震と推定されている。被害の総計は流家3,818軒、全壊4,815軒、破損家10,289軒、焼失家屋3,301軒、死者372人であった。この地震による被害の特徴は、地... 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日、大地震が起こった。特に被害が大きかったのは大新田で、11月5日申の刻の大地震により、堤防が決壊し、人家が倒壊した。復旧には1年余の日時を要し、総工費は大新田村の年貢の約4年分に相当した。 小松高鴨神社の神主鴨重徳の「御神用並... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、大地震と大津波があった。津波は川伝いに小山の上手、浪切不動の辺りまで寄せたという。当時を知る人が残した話では、中里・木の宮の大杉が大揺れして大地を叩くように見え、津波の引いた後にはその大杉の先に太刀魚が引っかかっていたという。 続きを読む

安政元年の地震

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嘉永7年(1854)11月4日、M8.4地震、津波。(「宿命の浅川港」による)なお、この年の11月27日に、嘉永から安政に改元されたため、嘉永7年の地震は通常、安政地震と呼ばれる。 浅川天神社境内にある安政地震の碑には、11月4日午前8時頃地震が起こり、10... 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月4日朝五ツ半時、大地震が半時ばかり甚だしく、甲浦の港では小船等を打ち上げたが、人家の庭まで来ずに引き潮になった。また、翌5日七ツ半時、大地震が来て前日より10倍も強かった。沖から二丈ほどの大潮が押し来たったので、人々は山に逃げ上る... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日朝5ツ時(8時)、地震があり、鈴波が来た。鈴波は津波のさきがけで、油断してはならないと言い伝えられている。翌5日夕方7ツ半時(5時)、未曾有の大地震が起こり、間もなく沖より山のような波が入り、宇佐福島は一面の海となった。残った... 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日と5日、地震が発生し、津波が襲来した。本書では以下の安政地震津波碑に関する情報を掲載している。 ・志和岐公民館前の碑、東由岐公民館前の東由岐浦修堤碑、木岐白浜の王子神社前の灯籠、牟岐小学校横の大震潮記念碑、出羽島の観栄寺の碑、浅... 続きを読む

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