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条件: 地震・津波
安政元年(1854)、南海地震が発生した。この研究では、徳島県沿岸部の歴史資料(書籍、地方誌、石碑)から、安政南海地震(1854年)及び昭和南海地震(1946年)の住民行動を検証し、当時の津波に関する言い伝えなどの教訓との関係について分析を行っている。 続きを読む
安政元年(1854)、M8.4の南海地震津波が起こった。瀬戸内海の津波の挙動は、東の紀淡・鳴門海峡ならびに西の豊予海峡から侵入する津波の特性により規定されると考えられる。本研究では、宝永(M8.4、1707年)、安政(M8.4、1854年)、昭和(M8.0、1... 続きを読む
安政元年(1854)、南海地震津波が来襲した。四国の瀬戸内海沿岸の津波高は、香川県で1~1.5m程度、愛媛県で1~2.5m程度であったと推定され、伊予灘に面する愛媛県の伊予市では2.5m程度、松前町では2m程度と、この付近は四国の他の沿岸に比べて津波高が若... 続きを読む
安政元年(1854)、地震後、宍喰町では浜辺にかがり火を焚いて、かがり火が消えたら津波が押し寄せてくると考え、夜遠くからでも潮の異変が分かるような工夫をしていた。(「震潮記」による) 続きを読む
安政元年(1854)6月の地震により、満濃池の大樋管の側壁に亀裂が生じて水が噴出し始めた。修理できぬうちに大雨により、ついに樋底からの漏水が次第に増大して、7月9日夜に池の堤防が決壊した。濁流は田を覆い、家は倒壊して流れ、死傷者数知れず、牛馬の命を失うもの傷つ... 続きを読む
安政元年(1854)6月、地震あり。榎井村の庄屋・長谷川喜平太らが数年を費やして改築した満濃池の樋管から水が噴出し、さらに大雨により漏水が増大して防ぐことができなくなった。7月9日夜に満濃池の堤防が決壊し、那珂郡、多度郡の数村の田は川原と化し、家屋、人畜の損害... 続きを読む