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918件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 地震・津波

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宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月、南海大地震。いわゆる亥の大変と呼ばれる大地震で、土佐の国中で津波のため1,844人が死亡した。谷陵記によると「上ノ加江亡所汐ハ山迄」とあり、山際までの家はすべて流失し、廣埜神社や禅源寺も流された。上ノ加江の死者は不明だが、久礼では津... 続きを読む

宝永4年の地震

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宝永4年(1707)、M8.4の地震が起こった。平成6年に須崎で開催された歴史地震研究会の報告によると、宝永地震の時に神田の諏訪神社付近では15~18mの津波が押し寄せたという。また、津波高は押岡の馬頭観音で12m、吾桑の鯛の川で10.7m、多ノ郷の川の内... 続きを読む

宝永4年の地震による加奈木崩れ

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宝永4年(1707)、地震により、加奈木崩れが発生した。加奈木の崩えでは岩盤クリープの地形的特徴である線状凹地や山向きの低崖が見られる。この研究では、過去の南海地震の斜面災害について歴史資料及び現地調査に基づき、南海地震の斜面災害の特徴を報告している。 続きを読む

宝永4年の地震による加奈木崩れ

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宝永4年(1707)の地震により、室戸市の佐喜浜川源頭部で加奈木の崩えが発生した。加奈木の崩えは、山向き小崖や線状凹地の発達する緩斜面の縁辺部の急斜面に当たり、トップリングによる緩みの著しい斜面から深層崩壊が発生したと推定されている。その後1746年に土石流が... 続きを読む

宝永4年の加奈木崩れ

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宝永4年(1707)の地震あるいは延享3年(1746)の豪雨(?)により加奈木崩れが発生したと考えられているが、その起源は明確ではなかった。崩壊地の地質と地形の調査により、加奈木崩れは宝永地震時に大規模崩壊が発生し、1次堆積物としての岩屑流堆積物が堆積し、17... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)の地震により、足摺岬周辺は沈降したことが示されている。この報告では、足摺岬について、史料及び隆起生物遺骸の調査を行い、1707年宝永地震、1854年安政南海地震、1946年昭和南海地震の3つの地震における地殻変動が検討されている。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)、M8.4の地震により、室戸半島は隆起し、高知平野は沈下した。 続きを読む

宝永4年の地震

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宝永4年(1707)、M8.4の地震により、土佐市宇佐町では400余人の死者を出した。また、宇佐町では安政元年(1854)のM8.4の地震では70余人、昭和21年(1946)のM8.0の地震では1人の死者を出した。この論文では、宇佐町を対象として、津波の数... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)、大地震により上下左右に揺れ、翌朝まで10回余りの大津波が襲来した。安芸郡の被害は甚大で、甲浦では潮が山際まで入り、白浜、生実では波が入って家が少々流れた。浮津、元では田地の三分の一、吉良川、羽根から川北までは平野の全部に潮が入り、安芸平野... 続きを読む

宝永4年の地震による加奈木崩壊

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宝永4年(1707)の地震により、室戸市佐喜浜川の源頭部で大規模崩壊が発生し、加奈木の崩えと呼ばれている。加奈木の崩えでは、大正6年から昭和39年の47年間にわたる治山工事によって、斜面は小康状態を保っているが、トップリングにより緩んだ斜面は今後、巨大地震が発... 続きを読む

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