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918件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 地震・津波

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宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、地震が起こり、津波による被害が発生した。この研究では、四国の歴史津波(慶長、宝永、安政)の津波高について、文献調査及び現地調査を実施し、各津波の挙動に関する考察が行われている。なお。現地調査の結果として、愛媛県宇和島市、高知県宿... 続きを読む

宝永4年の地震による加奈木崩れ

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宝永4年(1707)10月4日、南海トラフを震源としたM8.4と推定される大地震が発生し、加奈木崩れが起こった。加奈木崩れは標高983mの野根山から南西に伸びる稜線の東側斜面で発生したもので、崩壊土砂は佐喜浜川に沿って流下し、河床に厚く堆積している。加奈木崩れ... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、M8.4の地震が発生した。津波は伊豆半島から九州に至る太平洋沿岸及び大阪湾、播磨、伊予、防長、八丈島を襲った。波高は、今村博士の調査によれば、室戸町6.5m、安岐町5.6m、種崎2.3m、久礼25.7mと推定された。この地震... 続きを読む

宝永4年の地震

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宝永4年(1707)10月4日午前9時、大地震が起こった。山は崩れ、家は倒れ、大地の割れ目から潮が湧いた。その上、午後1時から大潮が来て、家屋は全部流され、人畜の死傷は数知れず。この時の潮は、南は大坂谷、北は焼坂の麓、長沢は常賢寺前まで押し寄せ、死者は20... 続きを読む

宝永4年の地震

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宝永4年(1707)10月4日、地震が起き、津波が襲来した。この論文では、宝永地震・津波に関する碑として、宝永津波溺死之塚(須崎市)が紹介されている。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、南海道沖大地震(M8.4)が発生し、「愛宕山の麓にて鯖、鱸、王余魚(かれいの類)などおびただしく取し」と記録にあるように、大規模な津波に襲われた。被害は流家11,170戸、潰家4,866戸、破損1,742戸、死者1,844人(男... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、大地震。土佐国では大潮、伊予道後温泉は没して出なくなった。(別枝の中越律氏所蔵の「宝永年中大地震筆記写」による)また、土佐国の被害は、流家11,170軒、潰家4,866軒、破損家1,742軒、死人1,844人、流死牛馬542匹、... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日未の刻、大地震。谷陵記によると、「国中(土佐)死人2千人、上ノ加江亡所汐ハ山迄、矢井賀亡所汐ハ山迄、小矢井賀汐入りけれ共事なし」と書かれている。上ノ加江で、禅源寺や弘野神社が流失の災を蒙ったのはこの時である。 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日、大地震が起こり、1時間ほどして津波が襲来した。宮地直知(入野)の「地震大潮記」によると、巳の上刻に大地震があり、達者な人でも歩くことができないほど揺れ、山々は崩れるなどしたが、未の上刻より津波が襲来し、人家は流失し、人や牛馬が死... 続きを読む

宝永4年の地震

宝永4年(1707)10月4日未の上刻(午後2時頃)、大地震が発生した。世に亥の大変という。地震により土佐国中の官舎、民屋が悉く転倒した。また、山間部では岩石のために死傷する者も若干あった。未の下刻から寅の刻(4時頃)まで津波が11度襲来し、海辺の在家は一所と... 続きを読む

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