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条件:高知県 地震・津波
延享3年(1746)の地震を引き金として、加奈木崩れが発生したと言われるが、郷土資料によるとその真偽は疑わしく、それ以前から大崩壊はあったと考えるのが妥当であろう。 続きを読む
延享3年(1746)、加奈木崩壊が最初に起こり、その後大崩壊が続いた。昭和21年の南海震災により新崩壊が発生し、降雨毎に川床は上昇し天井川をなし流路が一定せず、洪水時には河川、工作物及び耕作地、林野等に被害が及んだ。高知営林局では大正6年に治山工事に着手し、昭... 続きを読む
延享3年(1746)、地震により、加奈木の大崩壊があった。大森の田畑50余町歩、人家30数件が一挙に押し流され、奥地区の中心地は河原と化したと伝えられている。ただし、延享3年の加奈木崩壊によって大森地区の田畑・人家が全滅したとする通説には疑問がある。この時より... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、南海道沖大震(M8.4)により、潰家死傷夥し。九州南岸より伊豆まで津波を受ける。土佐での高さ20m余、土佐西南部所々陥没。(「高知県百科事典」による)/「梼原町史年表」には、大地震井戸水ことごとく切れる、大潮あり御救来儀男3合、... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、大地震により、「南路志」に種崎一村亡所となる、溺死者704人などと記されている。本村も多大の被害があったであろうが記録はない。古老伝説によると、宝永4年の大地震の海嘯は当村、三嶋村下島の海浜切戸を押し切り、西は浜改田の低地を打越... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日の地震に伴う土砂災害により、仁淀川中流の舞ヶ鼻に天然ダムが形成された。天然ダムの湛水標高は61m(湛水高18m)と推定され、越知町柴尾地区には「石碑(湛水標高61m)より下部には家を建てるな」という言い伝えが残されている。 続きを読む