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918件のアーカイブスが見つかりました。

条件:高知県 地震・津波

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安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日~5日、地震により土佐領内で死者372人、負傷者180人、家屋の全壊3,082棟、流失3,202棟、焼失2,481棟。(「日本の地震活動」による) 香我美町岸本の飛鳥神社には、「懲毖(ちょうひ)」と題した記念碑が建立されている。 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、大地震により、全村にわたって、石崖、堤防、道路の決壊、落石、亀裂などの被害をこうむったが、人畜の被害はなかった。 続きを読む

安政元年の地震

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安政元年(1854)11月4日早朝に地震が発生、5日夕七ツ時(午後4時)に大地震が発生し、津波が襲来した。夜須では、観音山に数百人が逃げて助かった。昭和南海地震の時にも、人々はこの観音山で一夜を明かした。観音山の記念碑には、この山は命の山である、三番波が一度に... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日朝5ツ時過ぎ、大地震が畿内、東海、東山二道の諸国を襲い、翌日には南海、西海、山陽、山陰四道の諸国を襲った。その後1年間は余震が続き、ついに安政2年10月2日の大地震を惹起した。この経過については喜之助が記した「三災録」に詳しい。こ... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日に安政東海地震が、また翌5日に安政南海地震が起きた。本報告では、2つの地震の日月異常と火柱現象に関する高知県の文献として、以下の文献が紹介されている。東洋町野根浦の「北川文書」、稲毛実「三災録」、「谷脇茂実日記」、宇佐・真覚寺の「... 続きを読む

安政元年の地震

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嘉永7年(1854)11月4日、5日、大地震が起こった。大西家文書には、11月5日昼7ツ時、大地震により家、蔵とも潰家となり、まもなく大潮が入来たり、浦分の在家・蔵とも一軒も残らず流失したことなどが記されている。また、中浜村の池道之助清澄著「嘉永七年寅年地震津... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、5日にわたり大地震が起こり、それに伴う大津波が襲った。土佐藩から幕府への報告によると、被害は潰家2,935軒、半壊8,888軒、焼失2,460軒、流失3,182軒、死者372人、田地高21,530石等であった。このうち、須崎地域... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日朝5ツ時(8時)、地震があり、鈴波が来た。鈴波は津波のさきがけで、油断してはならないと言い伝えられている。翌5日夕方7ツ半時(5時)、未曾有の大地震が起こり、間もなく沖より山のような波が入り、宇佐福島は一面の海となった。残った家は... 続きを読む

安政元年の地震

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嘉永7年(1854)11月4日午前10時、地震が起こり、それより潮がくるい始めた。翌5日午後4時、大地震が起こり、間もなく潮が来た。「嘉永大変記以後追々記」は、須崎市栄町にある圓教寺の当時の龍教住職が安政地震と津波の様子や被害の状況等について記した古文書であり... 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日、M8.4の安政南海地震が、安政東海地震(M8.4)の32時間後に起こり、両津波は房総から九州東岸に至る広い範囲に多くの被害をもたらした。高知では3,200余戸の家屋が流失し、死者は370余人、負傷者は180人に達した。徳島でも1... 続きを読む

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