918件のアーカイブスが見つかりました。
条件:高知県 地震・津波
安政元年(1854)11月5日、大地震が起こり、津波が押し寄せてきた。この時には、宝永地震の教訓を生かして避難したので、宝永地震の時ほど溺死者は出なかった。しかし、誤った言い伝えを信じて船で沖に逃げた30余人は命を落とした。(宝永津浪溺死之塚の碑文による) 続きを読む
安政元年(1854)、安政南海地震により、有間の大崩壊があったと言われているが、記録に乏しく、その規模等の詳細は分かっていない。この研究では、過去の南海地震の斜面災害について歴史資料及び現地調査に基づき、南海地震の斜面災害の特徴が報告されている。 続きを読む
安政元年(1854)11月5日、南海地震が起き、津波が襲来した。この論文では、安政南海地震・津波に関する碑として、宇佐町萩谷の「南無阿弥陀仏」碑(土佐市)が紹介され、碑文の解説や語句の説明なども行われている。 続きを読む
安政元年(1854)11月5日午後5時頃、大地震が起こった。8、9度の大津波に見舞われた宇佐町では、死者70余人、残った家はわずか60、70軒であった。宇佐には「安政津波の碑」が建立されており、「この時山を目当てに逃れしものは皆命を助かる。船に乗り難を遁れとせ... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日午後4時、大地震が起こった。この日はすこぶる穏やかな無風の日で、3日前から海潮に変化が起こって毎日スズ波が続いていたがこの日大地震が起こり、強烈な震動は約10分間くらいであったが微震は少しも止まらず、一週間も続いた。(「下川口村誌... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日7ツ過ぎ(16時)に南海道沖大震が起こり、家屋倒壊は将棋を倒すが如くで、折から晩さん炊事の時であったため火災が起こり凄惨を極めた。津波被害は、高知で流家1,676戸、潰家568戸、死者106人、宇佐・福島では残る家70間、溺死70... 続きを読む
安政元年(1854)11月5日、南海道沖大震。夕七ツ時、大地震津浪、中村町家九歩通潰込の上焼失。(中村の「伊与田記録」による)/七ツ時大地震仕候、其夜大ゆり小ゆり共、又三日目大ゆり。(「中村魚市場記録」による)/焼失98軒、潰家144軒、半潰家66軒。(中村目... 続きを読む