検索結果

733件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 地震・津波

年代順で並び替える : |

安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月5日の地震により、郡中町で怪我人40人、人死20人。(「兵藤家文書」による)/郡中3町(灘町、湊町、三島町)のうち湊町だけで8人が家屋の倒壊の下敷きになるなどして死亡した。(「郡中三町の『独立』と安政大地震の記録」による) 続きを読む

安政元年の南海地震

image

嘉永7年(1854)11月5日の地震により、松山城天守閣の石垣が2箇所ふくらみ、本丸では平野屋根の瓦が落ち、壁にも被害が出た。家中屋敷では全半潰20軒、土蔵の全半潰17箇所、下級藩士の家では全半壊114軒、町方の家屋では全半潰68軒、百姓家の全半潰1,273軒... 続きを読む

安政元年の南海地震

嘉永7年(1854)11月5日、安政南海地震(M8.4)により、八幡浜市付近で被害。 続きを読む

安政元年の南海地震

image

安政元年(1854)11月5日夕申の刻より地震が発生し、御城郭の破損箇所は多かったが、潰込みの場所はなかった。その後、18日まで度々余震が続いた。(「今治拾遺」による) 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日~14日の10日間にわたる大地震により、瓦は落ち、家は倒れ、土地の亀裂は1m以上に及ぶものもあり、ため池の水は溢れ、山上の岩石は転落して、さらに対岸にはね上がった。川の水は奔流したり、逆流したりして、人々は火を消し、戸を開けて、眠... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月3日・4日の地震を前触れとして、5日午後4時頃から大地震が襲来した。「塩屋記録」には地震の様子、死者を含めた被害の状況、被災後の人々の様子などが具体的に記されている。また、「村諸日記」にも地震の様子などが記されている。 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、地震(M8.4)により、松山城内破損、領内被害住家・非住家計2,500軒余。 また、11月7日にも地震(M7.3~7.5)が発生し、道後温泉が105日間湧出停止。 続きを読む

安政元年の南海地震

image

安政元年(1854)11月5日及び7日、松山大地震。家中並びに郷町の被害は、本丸の石垣孕2箇所、塀・屋根・瓦・壁落、二の丸の塀・屋根・瓦・壁落、石垣孕1箇所、道後村温泉絶、翌年2月末より温泉が再湧出。(「松山叢談(池内家記)」による) 続きを読む

安政元年の土砂災害

安政元年(1854)11月5日、南海地震により、別子鉱山の坑内で大湧水となり、採鉱に支障をきたした。(「住友別子鉱山史上巻」による) 続きを読む

安政元年の南海地震

安政元年(1854)11月5日、津島町では7ツ半(午後3時)から暮6ツ(午後6時)前まで、地大いに震い、津波数を知らず。7日4ツ時(午前10時)また大地震、その後も12日29日までやまず、屋根瓦を落とし、道には亀裂ができ、人心兢々としてやまなかった。松山では城... 続きを読む

1 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 39 74