検索結果

547件のアーカイブスが見つかりました。

条件:徳島県 地震・津波

年代順で並び替える : |

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日、5日の大地震により、津波が1丈4、5尺の高さで撫養に襲来し、藍田や人家に浸水し、多くの船が破損した。被害の最も多かったのは岡崎で、家が潰れたり焼けたりした。人々は近くの山々へ避難したが、岡崎では20人の流死者が、高島では子供1人... 続きを読む

安政元年の地震

安政元年(1854)11月4日朝早く地震、5日7ツ時大震り、その夜5ツ半時分、また大震り。(教法寺の過去帳による)また、11月4日、5日大地震、その後12月末まで約2ヶ月間毎日地震があり、4、5日毎に大揺りで、家の中にはいられず竹やぶに小屋掛けして野宿する者が... 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月4日午前9時、安政東海地震が発生し、その翌5日午後5時に安政南海地震が発生した。橘浦では、家数156軒のうち、流失22軒、潰家23軒、大破小破111軒で、男1人が流死した。津波の高さは1丈8尺に達し、鵠、土井ヶ崎、南新田、北新田の堤防... 続きを読む

安政元年の地震

image

嘉永7年(1854)11月4日午前9時、中揺りの地震が二度あり、潮が河の中ほどまで三度入ってきた。夜10時頃、中揺りの地震が一度あった。翌5日午後5時、大地震が起こり、地面が裂け、泥水を吹き上げ、井戸水は1尺~3尺程も吹くなどした。家々の軒は落ち、瓦は飛び、壁... 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)霜月4日を始めとして、大地震が起こった。江野島の古老(当時7歳)が津波に備えて中庄の観音山に避難したことなどの体験談が記されている。八幡、黒地、色ヶ島、今津浦など本村内の村浦は大抵中庄の観音山に避難したというのは古老の話で一致している。 続きを読む

安政元年の地震

image

嘉永7年(1854)11月4日昼4ツ時(10時)地震が起こり、夜5ツ時(8時)頃から夜明けまでに3、4度地震が続いた。翌5日は昼8ツ時(午後2時)頃に大地震が起こり、瓦は飛び散り地中はひび割れ、7ツ時(午後4時)には津波が襲来した。人々は命からがら八幡山な... 続きを読む

嘉永7年の地震

image

嘉永7年(1854)11月4日4ツ時(午前10時頃)地震が起こり、高潮が浜土手を越え、川筋を奥手まで上がったが、その後海上は静かになってその日は暮れた。翌5日夕7ツ時(午後4時頃)大地震が起こり、樹木が動揺し、響きは山谷にわたり鳴り止まなかった。酉の刻(午後6... 続きを読む

安政元年の地震

image

嘉永7年(1854)11月4日、M8.4地震、津波。(「宿命の浅川港」による)なお、この年の11月27日に、嘉永から安政に改元されたため、嘉永7年の地震は通常、安政地震と呼ばれる。 浅川天神社境内にある安政地震の碑には、11月4日午前8時頃地震が起こり、10... 続きを読む

安政元年の地震

嘉永7年(1854)11月4日、5日に大震、11日、15日、25日及び12月12日、14日に強震があり、その間余震が続いた。蜂須賀家記には「封内の人家倒るるもの三千余、人畜多く死す」と記されている。三好郡志には、11月4日朝早々に少々震り出し、5日7ツ時に大震... 続きを読む

安政元年の地震

image

安政元年(1854)11月4日午前9時頃、遠州灘を震源とするM8.4の大地震が起こり、さらに32時間後の5日午後4時頃に同規模の地震が紀州沖で発生した。阿波でも、県東南海岸一帯で地震と津波によって、家屋の倒壊・流失、死者が多く、被害は甚大であったと伝えられてい... 続きを読む

1 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 55