2155件のアーカイブスが見つかりました。
条件: 土砂災害
安政元年(1854)、大地震。相生村では、伝聞として「山へ木を拾いに行っておった女子供は揺られて地上に倒れ叫ぶもあれば、猪垣が崩壊して、その石が四方へ転げるのもあった。山腹の田などは破れてさげること数十か所以上百か所もあり三日三晩ゆりつづいた」という話が残され... 続きを読む
安政元年(1854)、安政南海地震により、善徳の地すべりがあったと言われているが、記録に乏しく、その規模等の詳細は分かっていない。この研究では、過去の南海地震の斜面災害について歴史資料及び現地調査に基づき、南海地震の斜面災害の特徴を報告している。 続きを読む
安政元年(1854)、安政南海地震により、有間の大崩壊があったと言われているが、記録に乏しく、その規模等の詳細は分かっていない。この研究では、過去の南海地震の斜面災害について歴史資料及び現地調査に基づき、南海地震の斜面災害の特徴を報告している。 続きを読む
安政元年(1854)、安政南海地震により、とうじ山の崩壊があったと言われているが、記録に乏しく、その規模等の詳細は分かっていない。この研究では、過去の南海地震の斜面災害について歴史資料及び現地調査に基づき、南海地震の斜面災害の特徴を報告している。 続きを読む
嘉永6年(1853)6月2日~9日、降雨が一週間打ち続き、所々で山々が崩壊した。友浦の山田池が決壊し、被害の田畑は数町歩に及び、村民では復旧することができず、勘定所の直轄普請となった。 続きを読む
嘉永6年(1853)5月17日から18日にかけて大雨が降り、木浦村では所々の川土手が切れて、特に持越、福浦、洗足あたりの田が砂に埋もれ、和田谷3箇所で土砂崩れが起こり、家が倒壊して死傷者がかなり出たという。 続きを読む
嘉永2年(1849)、豪雨があり、七日七夜降り続いたため、東馬場上方の大佐古山で山潮が起こり、丸岡(まろおか)に向かって走り、幅8軒(14m余)にわたり畑が押し流されたと言われる。 続きを読む