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条件: 土砂災害
明治25年(1892)7月22日より24日にかけて那賀川水系は暴風雨となり、午後11時の那賀川筋水量は約1丈2尺(約3.6mの水高)。25日には引き続き暴風雨となり那賀川上流の木頭村で山腹崩壊し、27日午後5時30分には堆積した土砂が一大決壊して、下流の古毛・... 続きを読む
明治25年(1892)7月、豪雨により、上勝町田野々の葛又山で大崩壊が起こり、16人の犠牲者を出した。この時も、高磯山の崩壊と同様に、崩壊した土砂が河谷を埋めて天然ダムを形成した。 続きを読む
明治25年(1892)7月、台風により、木頭村高磯山の崩壊。人家15戸埋没、流出150戸、土砂が那賀川をせき止め逆流。(「徳島県災異誌」、「水害統計」、「那賀川改修史」等による)(那賀川における災害年表) 続きを読む
明治25年(1892)7月、台風による洪水と高潮のため、徳島市、名東郡、板野郡等で浸水被害が発生した。また、那賀川中流の高磯山が崩壊し、その後那賀川を堰き止めていた土砂が決壊するとともに、海部川上流の保瀬、勝浦川上流の葛又でも山腹斜面が崩壊し、被害が発生した。 続きを読む
明治25年(1892)7月、暴風雨により、那賀町上那賀の高磯山(611m)が崩壊し、流出した土砂で那賀川は流れをせき止められた。この時、平谷の妙法寺の薬師堂が水に浮き、逆流して平谷八幡神社の上のあたりにまで浮かんでいったが、せき止めた土砂が決壊したため、薬師堂... 続きを読む
明治25年(1892)7月、豪雨により、海南町保瀬で大崩壊が起こり、47人の犠牲者を出した。この時も、高磯山の崩壊と同様に、崩壊した土砂が河谷を埋めて天然ダムを形成した。 続きを読む
明治25年(1892)、豪雨により、那賀町(上那賀町)大戸の高磯山で大崩壊が発生し、約400万立米の崩壊土砂が那賀川を堰き止めて天然ダムを形成し、2日後に決壊して那賀川一帯に大洪水を引き起こした。(「四国山地の土砂災害」による)(田村俊之・西山賢一) 続きを読む
明治25年(1892)、上那賀町の高磯山崩壊により、那賀川の水がせき止められ、薬師堂が浮いて約300m流され、せき止められた土砂の崩壊により再び元の場所に戻ったと伝えられている。また、せき止めた土砂が決壊した際には、下流にはあらかじめ用意していた空砲があちらこ... 続きを読む