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2155件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 土砂災害

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明治36年の地震

明治36年(1903)3月21日、伊予灘を震源とするM7.0の地震により、大洲付近で落石があった。 続きを読む

明治36年の洪水

明治36年(1903)、洪水。伊与喜の奥地に入植していた人家2軒が山崩れに押し流され、死者5人を出した。 続きを読む

明治34年の豪雨

明治34年(1901)7月15日、豪雨により川上で山崩れ、死者1人、馬1頭重傷。 続きを読む

明治32年の鈴川山の崩壊

明治32年(1899)9月8日、鈴川山の一部が大崩壊し、下手の樫原部落に土砂が流れ落ち、家8棟が埋没し、死者7人、馬1頭を失い、下流の耕地は土砂で壊滅した。 なお、昭和26年に樫原奥地の山地に一大亀裂が発見され、過去の経験から考えて崩壊すれば大惨事を引き起こす... 続きを読む

明治32年の洪水

明治32年(1899)9月8日、洪水により、土成村樫原谷が崩壊し、山津波を起こして、人家が流失し、死者数人が高畑に流れ着くという悲惨事があった。この時、高畑の住民は炊き出し米の配給によって飢えをしのいだという。また、千田須賀の東の堤防が切れた。 続きを読む

明治32年9月の台風

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明治32年(1899)9月8日、台風により、勝浦川では上流の高鉾村正木で山が崩壊し、下流では7月の決壊で仮止め堤防となっていた江田村の堤防から上流部の前原村にかけて160mにわたり決壊した。菖蒲田川が本流と化し、神代橋は崩壊した。小松島町は約1ヶ月間濁水の中に... 続きを読む

明治32年8月の台風

明治32年(1899)8月28日午後、台風が九州南西部をかすめて愛媛県から鳥取に抜けた。愛媛県では別子銅山の崩壊によって512人の死者を出したほか、河川氾濫で150人ほど、香川で340人、高知で36人の死者を出した。徳島県では剣山周辺の雨量が200ミリを越した... 続きを読む

明治32年の豪雨

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明治32年(1899)8月28日、豪雨により、別子山で山津波が起こり、死者が600人近くに及ぶなど大きな被害が出た。この稿には、角石原付近、風呂屋谷方面、目出度町方面などで筆者が目撃した被災状況等が記されている。 続きを読む

明治32年の台風

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明治32年(1899)8月28日、別子を直撃した暴風による大雨は、工場等の施設・人員に未曾有の大災害を蒙らせ、別子鉱業所の新居浜移転を加速させる原因となった。「住友別子鉱山史」には、同日の降水量325ミリ余のほとんどが集中豪雨となって降り注ぎ、山津波となって人... 続きを読む

明治32年の風雨

明治32年(1899)8月28日、暴風が吹き荒れ、大雨は車軸を流すかのように濁流となって流れ、伊予川などの増水は平時には想像できないほどであった。この時、別子銅山の一部崩壊により、銅山関係者の屍が流れ来て、磧に打ち上げられたり、埋もれるなど悲惨な状況であった。... 続きを読む

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