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条件: 土砂災害
昭和18年(1943)7月、旧大洲町肱北地区で肱川の堤防が決壊し、新町・若宮地区に多大な被害を与えるとともに、大洲盆地全域を泥海と化した。現在の大洲市域の被害は死者28人、住家の流失7戸、全壊74戸、半潰103戸、床上浸水3,872子、床下浸水477戸等に及ん... 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日~25日、豪雨のため、南宇和郡内一帯は大被害を被った。城辺町内の僧都川で2箇所が決壊し、伊勢町、矢の町、中町、北裡から古町の全部の家屋が床上まで浸水した。流失家屋は9戸、死者は1人であった。町では応急措置として町内全戸を動員して... 続きを読む
昭和18年(1943)7月22日18時に、台風は室戸岬南方500kmの海上に達し、23日頃まで停滞気味で、24日に愛媛県を北上して日本海に出た。この台風と不連続線の活動により、九州東岸、四国及び中国では21日から24日にかけて降雨が連続して、記録的な暴風雨とな... 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日~24日の4日間に、年間降雨量の約3分の1の雨が降った。山は崩れ、地すべりが起き、川は氾濫して未曾有の被害となった。大洲桝形の水位は8.6mを記録した。当時の写真11枚。水害体験談が掲載されている。 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日~25日、豪雨のため、南宇和郡内一帯は大被害を被った。御荘町では観栄橋付近で土手が崩れ、和口橋、観栄橋ともに流され、田畑が浸水して土砂に埋まるなど、甚大な被害を受けた。菊川では軍用資材の伐り出しが行われていたため、各所で土砂崩れ... 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日から24日まで、台風による豪雨が続き、肱川、重信川など各河川の氾濫や山崩れ等により大災害となった。特に肱川上流では700~900ミリを超す降雨があったため、大洲町では明治19年(1886)以来の出水量を記録し、大洲平野は泥海と化... 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日~24日、台風に伴い大雨が降り続き、河川の決壊、山崩れにより、家屋の流失・埋没、田畑の流失など大被害があった。(伊方観測所記録による) 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日~24日、台風により、宮内村では堤防の決壊、家屋の倒壊・埋没・浸水・流失、田畑の浸水・流失の被害が出た(「宮内村日誌」による)。また、喜木川が増水し、地区住民に避難警報が出された。今井の堤防が決壊し、今井・川向の全戸が床上浸水し... 続きを読む
昭和18年(1943)7月21日から台風に伴い降り続いた雨で、喜木川は増水し、24日10時頃には町全体が床上浸水し、八幡橋、神越橋、一里塚橋が決壊し、11時頃には喜須来橋も決壊し、喜木と須川の交通は完全に途絶えた。午後1時過ぎには新川上流奥の大峰山の中腹地区の... 続きを読む