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条件: 土砂災害
明治43年(1910)9月20日より22日夕方まで大雨、大洪水。山城谷村では数箇所崩壊し、川口では一家5人が埋没して死亡し、2戸が流失した。また、相川名でも1戸宅地が崩壊し、家屋が流失した。 続きを読む
明治41年(1908)8月10日、春日川の出水により、旧佐川町で床上浸水81戸、床下浸水47戸、水没田地68町歩、埋没高地3反5畝、山崩れ3箇所、橋梁流失1箇所、橋梁破損2箇所、堤防決壊53箇所に及んだ。また、柳瀬川流域では、斗賀野で国道の決壊15間、橋の流失... 続きを読む
明治44年(1911)10月8日、小江地区の寺山付近の畑地約2haが大音響とともに崩壊し、家屋1戸が埋没、2、3戸が移転した。明治41年頃から、この辺りでは畑地に亀裂ができたり、陥没するなどの異状が生じていた。この付近は古生層の陥没地帯で第三紀層の彭軟層と古成... 続きを読む
大正元年(1912)、台風に伴う豪雨により、塩江町上西地区では蛸山山頂が大崩壊した。崩壊土砂量は約90万立米で、人家5戸と多くの家畜が埋没し、死者26人の被害が出た。この報告では、一時避難場所や避難経路の安全性に関する情報の整備が住民の避難行動を促す条件の一つ... 続きを読む
大正元年(1912)8月21日、暴風雨の夜半、冨士権現下の山麓が高さ10m、幅10mにわたって崩壊し、住家3軒が土砂に押しつぶされた。村民総出で埋没物、土砂の除去作業に当たった。 続きを読む
大正元年(1912)9月21日、暴風雨のため、栗林公園も全域水浸しになった。栗林村や室の住民は、紫雲山、室山、観興寺の裏山などに避難して暴風雨が収まるのを待っていた。そのさなかに、観興寺の山が大音響ととともに崩壊し、別堂に避難していた人々はお堂もろとも土砂に押... 続きを読む