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2155件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 土砂災害

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明治25年の高磯山崩壊

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明治25年(1892)7月22日以来の大雨によって、25日正午頃中木頭村(現上那賀町)大字御所谷村三文坂峠が高さ300間(約540m)、幅200間にわたって崩れ落ち、土砂は那賀川を埋めた。堰き止められた水は坂州村にまで及び、人家30戸を流し死者数十人を出した。... 続きを読む

明治25年の保瀬ぎれによる洪水

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明治25年(1892)7月25日午前10時頃、川上村大字平井の保瀬の右岸山上が大崩壊して海部川の水を堰き止めた。下流では、自然ダムの崩壊に備えて、女子や家財を安全な場所に待避させ、堤防に土俵や古畳を積み上げて補強し、鉄砲持ちに緊急合図用の空砲を持たせて見張りに... 続きを読む

明治25年の保勢崩壊

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明治25年(1892)7月25日午後2時頃、保勢山の中腹が幅300m、長さ800mにわたり崩壊して、海部川を堰き止めた。崩壊により北岸の山麓にあった3家族11人及び山稼ぎ36人は家屋とともに生き埋めになった。田畑4町歩も埋没した。海部川を堰き止めていた土砂は2... 続きを読む

明治25年の保勢の崩壊

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明治25年(1892)7月25日、台風に伴う集中豪雨により、海部川中流右岸の保勢(保瀬)で大規模崩壊が起こり、4戸が埋没し、住民11人と山稼ぎ人36人が生き埋めとなった。崩壊土砂は河道を閉塞し、巨大な天然ダムを形成したため、湛水によって8戸が流出し、9人が水死... 続きを読む

明治25年の高磯山崩壊

明治25年(1892)7月22~23日に発生した風水害は、海部郡大戸村(現那賀町)で高磯山山腹崩壊という大きな災害を起こした。高磯山の土砂は直下の荒谷集落と対岸の春森集落で15戸を呑み込み、那賀川本流をふさぐ天然ダムとなった。天然ダムは1時間に2尺の速度で水面... 続きを読む

明治25年の保瀬の崩壊

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明治25年(1892)7月25日、豪雨が海部川上流や那賀川上流を襲ったため、保瀬で大崩壊(土量約200万立米)が起こり、海部川の水を堰き止めた。このため、寒が瀬一帯は濁流に没し、4戸埋没、8戸流失、死者47人に被害を出し、上流一里半の樫谷の大杉の鞘が水に隠れ、... 続きを読む

明治25年の高磯山崩壊

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明治25年(1892)7月25日、高磯山が崩壊し、木頭・坂州の両部落で家屋等の流失や浸水の被害が出る。(「徳島県災異誌」による) 続きを読む

明治25年の洪水

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明治25年(1892)7月25日正午頃、木頭村大字大戸村(現上那賀町大戸)の標高約600mの高磯山が大崩壊し、崩積物は対岸の春森へ河床から約110mまで押し上げて那賀川を堰き止めた。天然ダムは最低所が河床から71m(標高251m)の高さで、上流に湛水量推定7,... 続きを読む

明治26年の台風

明治26年(1893)10月14日、台風が宮崎、足摺を通り東進して汐岬沖合へ南転した。大内町史には「暴風雨激浪堤欠山崩あり」と記されている。 続きを読む

明治26年の台風

明治26年(1893)10月14日、台風による豪雨は、歌仙村では山岳崩壊や菊間川の決壊などにより、川上で田畑の流失30町余、家屋の流失2戸、橋梁全て流失、松尾で家屋の流失11戸、高田で家屋の流失5戸、馬1頭圧死、田の流失9町、浸水14町余、池原で田の埋没14町... 続きを読む

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