検索結果

2155件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 土砂災害

年代順で並び替える : |

明治23年の水害

明治23年(1890)9月11日12時20分から午後1時までが暴風雨が最も激しく、雷鳴が鳴り、篠つくような大雨が降った。山々は至る所で放水して山崩れを生じ、濁流となって田畑を一面の泥海と化した。谷や川は増水し、大波のような濁流は人家をのみ、家畜や大木を押し流し... 続きを読む

明治23年の地すべり

明治23年(1890)9月11日12時20分から午後1時までが暴風雨が最も激しく、雷鳴が鳴り、篠つくような大雨が降った。山々は至る所で放水して山崩れを生じ、濁流となって田畑を一面の泥海と化した。谷や川は増水し、大波のような濁流は人家をのみ、家畜や大木を押し流し... 続きを読む

明治23年の洪水

明治23年(1890)9月11日、2、3日前から降り続いた雨は午前6時に大豪雨となり、正午過ぎに大洪水となった。増水は夕方6時頃まで続き、植林が根こそぎえぐり取られ、馬や家屋が流れ、人々は山や小高い丘に逃げ延びた。村内の被害は死者4人、死馬4頭、家屋の流失・損... 続きを読む

明治23年の地すべり

明治23年(1890)9月11日12時20分から午後1時までが暴風雨が最も激しく、雷鳴が鳴り、篠つくような大雨が降った。山々は至る所で放水して山崩れを生じ、濁流となって田畑を一面の泥海と化した。谷や川は増水し、大波のような濁流は人家をのみ、家畜や大木を押し流し... 続きを読む

明治23年の台風

image

明治23年(1890)9月11日、台風により篠つく豪雨となった。特に四万十川上流の東津野、檮原郷の雨量が多く、沿川では牛馬や住家が流されるなど洪水被害に見舞われた。しかし、夕方、川の水が急に引き始めたため、人々が安心していた時に、再び大音響とともに激流が押し寄... 続きを読む

明治23年の洪水

明治23年(1890)9月11日、台風に伴う大雨により、特に新荘川筋の出水は平水より7m余高く、堤防を決壊して田畑、人家を押し流し、上分、新荘地区に大損害を与えた。上分村の被害は溺死・圧死者8人、本家流失33戸、全倒18戸、半倒30戸、大破8戸、家屋浸水278... 続きを読む

明治23年の洪水

明治23年(1890)9月9日午後3時頃から降雨が始まり、11日になって豪雨がものすごくなり、四万十川・後川の水量が頻りに増加し、上町、京町付近は瞬く間に浸水した。日没時には明治19年の洪水より1尺高くなり、階上、高所に揚げた家財道具もまた浸水し、家屋、器具、... 続きを読む

明治25年の高磯山の崩壊

image

明治25年(1892)、豪雨により、那賀町(上那賀町)大戸の高磯山で大崩壊が発生し、約400万立米の崩壊土砂が那賀川を堰き止めて天然ダムを形成し、2日後に決壊して那賀川一帯に大洪水を引き起こした。(「四国山地の土砂災害」による)(田村俊之・西山賢一) 続きを読む

明治25年の高磯山の崩壊

image

明治25年(1892)、上那賀町の高磯山崩壊により、那賀川の水がせき止められ、薬師堂が浮いて約300m流され、せき止められた土砂の崩壊により再び元の場所に戻ったと伝えられている。また、せき止めた土砂が決壊した際には、下流にはあらかじめ用意していた空砲があちらこ... 続きを読む

明治25年の保瀬の崩壊

image

明治25年(1892)7月、豪雨により、海南町保瀬で大崩壊が起こり、47人の犠牲者を出した。この時も、高磯山の崩壊と同様に、崩壊した土砂が河谷を埋めて天然ダムを形成した。 続きを読む

1 28 29 30 31 32 33 34 35 36 37 38 216