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条件: 土砂災害
明治18年(1885)6月、吉野川支流曽江谷川本流の通称茶園の大崩壊で、上流7.3kmに及ぶ洪水を一時せき止め、その後せき止めた土砂が決壊しため下流一帯の耕地7.8haを流した。 続きを読む
明治18年(1885)7月、梅雨豪雨時に茶園嶽で崩壊があり(崩壊土量50万立米)、天然ダムが形成、すぐに決壊。中央構造線系・父尾断層が走る。 続きを読む
明治18年(1885)7月1日、台風により、吉野川は大洪水。脇町の曽江谷川の茶園嶽で大崩壊(土量約50万立米)が発生した。これを契機に、曽江谷川では内務省の直轄砂防工事が着手され、明治21年にはデ・レーケの指導により砂防堰堤が築造された。 続きを読む
明治18年(1885)7月1日、降り続いた雨により、標高342.1mの茶園岳の西南斜面が、高さ約300mのところから曽江谷川に崩れ落ちた。崩れ落ちた土砂は曽江谷川をせき止め、泥のダムとなったが、泥のダムはやがて決壊し、洪水がものすごい勢いで流れ出した。この洪水... 続きを読む
明治19年(1886)、台風により、長者川に流路を代えて以来、長者地すべりが活発化したとされている。この研究では、長者地すべり地を対象として、地質構造の考察から地すべり斜面変遷過程を明らかにし、それが現在の地すべり運動にどう影響しているかについて考察が行われて... 続きを読む
明治18年(1886)7月1日、紀伊半島に上陸した台風により、阿讃山脈に集中的な豪雨があった。この時、曽江谷川沿いの茶園嶽で60町の大崩壊が発生し、人家が埋没し、3人が圧死し、曽江谷川をせき止めた。 続きを読む
明治19年(1886)7月22日、暴風雨のため、広見川の出水で、田畑の流失10町余、家屋の流失10数棟に及び、山腹の崩壊は50箇所にのぼった。21日夜、広見川の増水により、小松村と久保村の中間の中川原でウナギやアユを漁獲中の11人が取り残され、助けを求めた。村... 続きを読む
明治19年(1886)8月、仁淀川の出水により、吾川郡新川村で堤防が決壊し、新川村、森山村、弘岡上の村、中の村、下の村、甲殿秋山の諸村は一面に一大湖水となり、稲作及び雑穀に大損害が出た。(高知新聞による)/台風、仁淀村地すべり、旧寺野潰滅す。 続きを読む