2155件のアーカイブスが見つかりました。
条件: 土砂災害
天保6年(1835)5月13日、14日、大雨、21日朝より極大雨、朝一番鳥の頃、水枕に相成り。川筋一円大いたみにて流れ物多、損田流失砂入、近代の大いたみの由、瑞巌寺山潮にて2尺ばかり入る。(「元木文書」による)/5月15日、21日~22日、風水害、39,280... 続きを読む
天保6年(1835)5月13日、14日、大雨、21日朝より極大雨、朝一番鳥の頃、水枕に相成り。川筋一円大いたみにて流れ物多、損田流失砂入、近代の大いたみの由、瑞巌寺山潮にて2尺ばかり入る。(「元木文書」による)/5月15日、21日~22日、風水害、39,280... 続きを読む
天保6年(1835)5月13日、14日、大雨、21日朝より極大雨、朝一番鳥の頃、水枕に相成り。川筋一円大いたみにて流れ物多、損田流失砂入、近代の大いたみの由、瑞巌寺山潮にて2尺ばかり入る。(「元木文書」による)/5月15日、21日~22日、風水害、39,280... 続きを読む
天保13年(1842)、吉野川で大洪水。馬路川洪患志によると、「天保十三年の洪水で北名の馬谷は土砂を押し出し数戸の家屋を埋め、水路は北名の北がわをまわって住吉の下に流れた。馬路川の堂床の大木は山津波と共に押し流されて土居の田の中に立ち、宮の谷の洪水は土砂を流し... 続きを読む
天保13年(1842)、馬路川で大洪水。これを「寅年の大洪水」と言い伝えている。洪水により白地馬谷の土砂が北名の数戸を埋め、水路は北名の北端を迂回して住吉山の麓に出た。馬路深川谷の堂床の大木が山津波に乗って立ちながら土居の田の中に押し出された。宮の谷の洪水は境... 続きを読む
天保14年(1843)、大雨による大洪水、山崩れ、堤切れなど破損箇所が多く、田地が埋まった。この上、8月から9月にわたり長雨があり、立毛部が生え凶作となった。 続きを読む