検索結果

2155件のアーカイブスが見つかりました。

条件: 土砂災害

年代順で並び替える : |

昭和47年の繁藤災害

image

昭和47年(1972)7月5日午前10時55分、土佐山田町繁藤地区で、高さ約80m、幅約170mにわたる大規模な地すべり性崩壊が発生し、約10万立米の土砂石礫が崩れ落ちた。この地すべり性崩壊は国道32号沿いの民家11戸、通行人を含む地元の人々60人及び国鉄繁藤... 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

image

昭和47年(1972)7月5日、繁藤災害。写真1枚。 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

image

昭和47年(1972)7月5日、繁藤大崩壊、前線による集中豪雨。(「吉野川事典」、「馬路川洪患志」、「辻風土記」、「三好郡志」等による)(吉野川の災害史年表) 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

image

昭和47年(1972)7月5日、土佐山田町繁藤で集中豪雨により山崩れが発生し、救援作業中の消防団員ら60人が生き埋めの惨事となった。崩土量10万立米、20日間不通。 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

image

昭和47年(1972)7月3日~6日、豪雨のため、繁藤で崖崩れ災害、死者60人。 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

image

昭和47年(1972)7月4日から5日かけて、土佐山田町繁藤地区は日雨量741ミリの豪雨に見舞われ、10万立米の大崩壊が起こった。このため、死者・行方不明は62人に及び、さらに国道32号及び国鉄土讃線は長期間にわたり通行不能となった。 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

image

昭和47年(1972)7月5日午前10時55分、集中豪雨のため土佐山田町繁藤で起きた斜面崩壊は、60人の犠牲者を出す大惨事となった。この災害は生き埋めになった1人の消防団員を救出中に起きた二次災害であった。崩壊規模は高さ80m、幅170mで、土石量は約10万立... 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

image

昭和47年(1972)7月5日午前6時頃、集中豪雨により、繁藤追廻山で土砂崩れが起こり、6時45分頃2回目の山崩れにより土砂除去作業中の消防団員1人が生き埋めとなった。続いて6時48分に3回目の山崩れが起こり、10時50分頃には4回目の山崩れが起こり、その数秒... 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

image

昭和47年(1972)7月5日午前10時55分、土佐山田町繁藤地区で、高さ約80m、幅約170m、約10万立米におよぶ大規模な地すべり性崩壊が発生した。このため、国道32号沿いの民家11戸、消防団員や地元の人々59人及び国鉄繁藤駅構内に停車中の機関車と客車2両... 続きを読む

昭和47年の繁藤災害

image

昭和47年(1972)7月5日、集中豪雨により、土佐山田町繁藤の通称追廻山で大規模な山崩れが発生し、山津波は国道32号沿いの人家11戸と消防団員や地元の人々60人及び繁藤駅に停車中の機関車と客車2両を一呑みにして穴内川の対岸まで押し流した。(「高知県百科辞典」... 続きを読む

1 121 122 123 124 125 126 127 128 129 130 131 216