604件のアーカイブスが見つかりました。
条件:高知県 土砂災害
宝永4年(1707)10月4日、東南海地震(M8.4)と南海地震(M8.4)が起こり、「宝永地震記」によれば、越知町横倉・別府山二の宮の山で40~50丁が崩れ落ちたと言われているが、現地調査では確認できなかった。 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、地震後の津波により、佐賀妙光寺では客殿・庫裡が流失、願成寺、安養寺、明専寺では過去帳その他が流失した。また、坂本・門脇両家では系図などを流失した。この地震では山潮(山崩れ)が非常に多かったと言われている。伊与喜森家の先祖は、この... 続きを読む
宝永4年(1707)10月4日、南海道沖大震。巳の上刻に大地震あり、いかなる丈夫達者たりとも歩行ならず。山々崩れ土煙四方に起こり、忽ち闇夜の如くにして方角を失い、泣き叫ぶ有様は魂魄何の所に止まらんや。大地割れて底より潮水湧出で、人家倒れあるいは崩れ、無難の在家... 続きを読む
宝永4年(1707)の地震あるいは延享3年(1746)の豪雨災害の時に、加奈木崩れが発生したとされているが、それより数百年前に発生した可能性があるとの説もある。このため、この研究では支流のせき止め堆積物中の材の14C年代に基づいて、加奈木崩れの発生時期が推定さ... 続きを読む
宝永4年(1707)の地震時に、室戸市の佐喜浜川の源頭部で岩屑流が発生し、その後延享3年(1746)に土石流が発生したと推定されている。この研究では、宝永地震で崩壊したと伝えられている加奈木の崩えを対象に、空中電磁法による比抵抗構造と現地調査による地質構造を比... 続きを読む
宝永4年(1707)の地震により、室戸市佐喜浜川の源頭部で大規模崩壊が発生し、加奈木の崩えと呼ばれている。加奈木の崩えでは、大正6年から昭和39年の47年間にわたる治山工事によって、斜面は小康状態を保っているが、トップリングにより緩んだ斜面は今後、巨大地震が発... 続きを読む
宝永4年(1707)の地震あるいは延享3年(1746)の豪雨(?)により加奈木崩れが発生したと考えられているが、その起源は明確ではなかった。崩壊地の地質と地形の調査により、加奈木崩れは宝永地震時に大規模崩壊が発生し、1次堆積物としての岩屑流堆積物が堆積し、17... 続きを読む
宝永4年(1707)、地震により、加奈木崩れが発生した。加奈木の崩えでは岩盤クリープの地形的特徴である線状凹地や山向きの低崖が見られる。この研究では、過去の南海地震の斜面災害について歴史資料及び現地調査に基づき、南海地震の斜面災害の特徴を報告している。 続きを読む
宝永4年(1707)の地震により、室戸市の佐喜浜川源頭部で加奈木の崩えが発生した。加奈木の崩えは、山向き小崖や線状凹地の発達する緩斜面の縁辺部の急斜面に当たり、トップリングによる緩みの著しい斜面から深層崩壊が発生したと推定されている。その後1746年に土石流が... 続きを読む