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302件のアーカイブスが見つかりました。

条件:香川県 土砂災害

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明治45年の台風

明治45年(1912)9月22日~23日、暴風雨により、死者39人、行方不明48人、浸水家屋12,720戸、流失家屋378戸、田畑浸水1,961ha、道路・橋梁・山岳崩壊273箇所、河川・池沼220箇所、被害額131万円。(香川県の災害記録) 続きを読む

大正元年の台風

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大正元年(1912)9月22日から23日に大型台風が紀伊水道を北上し、塩江町に最大の被害を与えた。雨量は22日午前零時から一昼夜の間に173.6ミリに及んだ。風は22日午後4時から北東に変わり、その後一時弱くなったが、11時頃から東に変わった。県下の死者・行方... 続きを読む

大正元年9月21日の台風

大正元年(1912)9月21日、暴風雨のため、栗林公園も全域水浸しになった。栗林村や室の住民は、紫雲山、室山、観興寺の裏山などに避難して暴風雨が収まるのを待っていた。そのさなかに、観興寺の山が大音響ととともに崩壊し、別堂に避難していた人々はお堂もろとも土砂に押... 続きを読む

大正元年の洪水

大正元年(1912)9月21日午後4時30分~23日午前5時30分の間に、高松港務所で229.2ミリの雨量を記録した。志度では房前海岸の山が崩れ落ち、東讃電鉄(今の琴電)の軌道が埋没したほか、鴨部地区では甑山から鴨部下庄村に至る鴨部川の堤防中、川田地区で88間... 続きを読む

大正元年の蛸山崩壊

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大正元年(1912)、台風に伴う豪雨により、塩江町上西地区では蛸山山頂が大崩壊した。崩壊土砂量は約90万立米で、人家5戸と多くの家畜が埋没し、死者26人の被害が出た。この報告では、一時避難場所や避難経路の安全性に関する情報の整備が住民の避難行動を促す条件の一つ... 続きを読む

明治44年の寺山の陥没

明治44年(1911)10月8日、小江地区の寺山付近の畑地約2haが大音響とともに崩壊し、家屋1戸が埋没、2、3戸が移転した。明治41年頃から、この辺りでは畑地に亀裂ができたり、陥没するなどの異状が生じていた。この付近は古生層の陥没地帯で第三紀層の彭軟層と古成... 続きを読む

明治15年の肥土山の地すべり

明治15年(1872)9月、肥土山地区で地すべりが発生し、民家5戸が倒壊、農地約50haが被害を受けた。 続きを読む

明治15年の地すべり

明治15年(1882)9月、町内で地すべりが起こり、民家5戸が倒壊、農地約50haが被害を受けた。 続きを読む

明治15年の肥土山の地すべり

明治15年(1882)8月15日午後3時、肥土山向の上の田畑と宅地約10haが崩壊し、家屋2戸が埋没した。平見地方の人家は、後難を恐れて土井の内や松の内などに転居した。 続きを読む

明治11年の長雨

明治11年(1878)6月11日長雨のため、山崖が崩壊して甲生全部に土砂が流下し、全潰3戸、半潰9戸、田畑の埋没約10haの被害が出た。これは豊島石を採掘した後が空虚となっていたことが原因と言われている。 続きを読む

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