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条件:愛媛県 土砂災害

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享保7年8月の台風

享保7年(1722)8月14日、23~24日に台風が来襲し、各地の堤防は崩れ、山崩れの被害が続出した。稲は倒れ不作となり、路傍に難民があふれる窮状となった。 続きを読む

享保7年の台風

享保7年(1722)6月23日~24日、暴風雨と高潮により、松山藩の被害は堤防153,636間、5,367箇所、田畑3,262町、家の流失307戸、崩壊1,171事、死者88人、倒木4,720本、山崩れ3,778箇所。(「松山叢談」による) 続きを読む

享保6年の洪水

享保6年(1721)閏7月15日、石手川溢水、領主出馬見分、損毛35,000余石、潰家889棟、死者72人、牛馬死10疋、山崩3万箇所。 続きを読む

享保6年閏7月15日の洪水

享保6年(1721)閏7月15日、石手川の洪水につき、御出馬あり、家中面々過半が罷り出る。(「松山叢談(本藩譜)」による)/洪水による損毛は、浜手並びに池川の堤切れ117,141間、田畑の川成・砂入・水押3,716町6反余、流家・潰家・半潰889軒、溺死・潰死... 続きを読む

享保6年の大雨

享保6年(1721)閏7月14日頃から大雨となり、翌15日には出水のため石手川の堤防が決壊し、各地は洪水となった。被害は田畑の砂入・汐入・水押3,716町余、石高35,065石余損毛、浜手・池川の堤防決壊117,141間、流家・潰家・半潰889間、死者男40人... 続きを読む

享保6年の洪水

享保6年(1721)閏7月6日、洪水19尺5寸、15日溢水29尺5寸。(「加藤家譜」による)/秋季2回の洪水にて不作。(「新居郡誌」による)/7月、洪水、田畑1万5千余石を損毛す。(「宇和島吉田両藩誌」による)/閏7月6日、洪水損毛多し。(「東宇和沿革史」によ... 続きを読む

享保6年の台風

享保6年(1721)7月15日、暴風雨と高潮により、伊予郡の被害が最も多し。松山藩内の被害は、堤防(海岸、川、池含めて)117,141間、田畑の流失・埋没3,716町、死者72人、家屋889戸、倒木429本、山崩れ29,320箇所。(「松山叢談」による) 続きを読む

寛文2年の地震

寛文2年(1662)9月20日、M6.7の大地震により、山崩れがあった。 続きを読む

寛文2年の山崩れ

寛文2年(1662)9月20日、日向灘地震により、広見町で山崩れが発生した。 続きを読む

慶長19年の地震

慶長19年(1614)10月25日、大地震により、山崩れのため泉脈が塞がれた。(「伊予温故録(温泉伝記)」による)地震あり、湯出ず、その後月を越えてまた出始めた。(「松山叢談」による)伊予国地震い、道後温泉一時湧出を止む。(「大日本地震史料」による) 続きを読む

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