検索結果

345件のアーカイブスが見つかりました。

条件:愛媛県 土砂災害

年代順で並び替える : |

明治32年の台風

明治32年(1899)8月28日から激しい暴風雨となり、加茂村荒川山では死者51人、家屋の流失60人となった。西之川山では山崩れがあり、西之川鉱山の小屋などが埋没した。別子鉱山で512人の死者が出たのもこの時である。 続きを読む

明治32年の台風

明治32年(1899)8月28日、東予地方に暴風雨が襲来し、水害や土砂災害をもたらした。この災害について、この稿では以下の記録が紹介されている。「東指宛池坊専啓書簡」、「下泉・秋葉家記録」、「水害記念之碑」、「広瀬家文書」、「土居町北野村・岡田政助文書」、「I... 続きを読む

明治32年の豪雨

image

明治32年(1899)8月28日、豪雨により、別子山で山津波が起こり、600人近くの生霊が奪われ、200年の伝統を誇った上部溶鉱炉と、硫酸銅工場及び坑水収銅場等の設備が破壊された。この稿には、別子銅山での筆者の災害体験が記されている。 続きを読む

明治32年の豪雨

image

明治32年(1899)8月28日、豪雨により、別子山で山津波が起こり、死者が600人近くに及ぶなど大きな被害が出た。この稿には、角石原付近、風呂屋谷方面、目出度町方面などで筆者が目撃した被災状況等が記されている。 続きを読む

明治32年の台風

image

明治32年(1899)8月28日、別子を直撃した暴風による大雨は、工場等の施設・人員に未曾有の大災害を蒙らせ、別子鉱業所の新居浜移転を加速させる原因となった。「住友別子鉱山史」には、同日の降水量325ミリ余のほとんどが集中豪雨となって降り注ぎ、山津波となって人... 続きを読む

明治32年の豪雨

image

明治32年(1899)8月28日、豪雨により、別子山で山津波が起こり、死者が600人近くに及ぶなど大きな被害が出た。この稿には、見花谷方面、両見谷方面、高橋方面、小足谷方面、東延方面で筆者が目撃した被災状況等が記されている。 続きを読む

明治32年の台風

明治32年(1899)8月28日、激しい暴風雨により、加茂村の荒川山では死亡者51人、家屋の流失60戸、西之川山では山崩れなどもあり、西之川鉱山の小屋など埋没したものが多数。(西条市自然災害年表による) 続きを読む

明治32年の台風

image

明治32年(1899)8月28日、四国地方に暴風雨が襲来した。東予地方では、28日午前9時頃から雨が降り出し、午後7時頃には東風が北風に変わると、風雨はますます強烈になり、山岳部では豪雨となった。宇摩郡別子山村では足谷川流域の見花谷・両見谷・小足谷等で山崩れが... 続きを読む

明治32年の台風

image

明治32年(1899)8月28日、暴風雨により、宇摩・新居郡は多大の被害を受けた。特に宇摩郡別子山村では足谷川流域の見花谷・両見谷・小足谷等で山崩れが発生し、死者1,000余人、家屋の埋没等500戸以上に及ぶ惨状を呈した。また、新居郡では加茂川が氾濫したほか、... 続きを読む

明治32年の水害

image

明治32年(1899)の別子銅山の大水害に際して、医師高原清二郎氏が胸の上まで水に浸かりながら病院に行ったところ、暗かったため、包帯の古屑の上に石炭油をふりかけて入口で火を付けて燃やしたところ、辺りが明るくなり、住民は非常に力を得た。(「新居浜史談」による)明... 続きを読む

1 25 26 27 28 29 30 31 32 33 34 35