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条件:徳島県 土砂災害
明治25年(1892)7月23日、田野々では連日の豪雨のため旭川が氾濫し、葛又山(こずまたやま)の大崩壊のため葛又地区は全滅した。また、瀬津では川の水の高さが1丈余尺に達し、午後8時に府殿ごぼざこ山塩が湧出して下々の谷筋の田畑10余町程が流失した。さらに、高畑... 続きを読む
明治25年(1892)7月23日、暴風、海嘯、洪水で死者311人、不詳89人、家屋全壊2,635戸、流失644戸、半壊2,559戸、潮入36,242反歩、船損壊478隻、破堤57km、橋梁6箇所の損害となった。徳島市では津田浦をはじめ大半が浸水。24日、風雨ま... 続きを読む
明治25年(1892)7月23日朝、台風が高知市付近に上陸して山陰に抜けた。徳島県は暴風雨、洪水、高潮の大災害に見舞われ、その上山岳の崩壊も数知れなかった。県下の被害は8月2日現在で死者311人、負傷者89人、家屋の全壊2,635戸、流失644戸、半壊2,55... 続きを読む
明治25年(1892)7月23日、洪水により、徳島県下の被害は流死人男101人・女60人、圧死人男91人・女49人、負傷人男49人・女40人、全潰家2,635棟、流家644棟、半潰家2,559棟、潮入水入家36,242戸、船舶破壊・流失477艘、河川堤防決潰2... 続きを読む
明治25年(1892)7月23日、台風が高知市に上陸し、四国、中国を縦断した。那賀川町では赤池で那賀川の堤防決壊、大手海岸の侵食などの被害が出た。山地崩壊は那賀川上流の高磯山(上那賀町)が最大で、これにより那賀川は荒廃をきたし、影響ははかりしれないものとなった... 続きを読む
明治25年(1892)7月23日、福原村田野々の葛又山(こずまたやま)の崩壊により、棚野村では三渓字上川原堤防、豊毛本(ほけもと)堤防、天狗嶽井堰、庚申井堰が決壊した。また、立川道路、樫渕道路のほか、75箇所が決壊した。(長田八百三氏日記、横瀬町史等による) 続きを読む
明治25年(1892)7月22日より24日にかけて那賀川水系は暴風雨となり、午後11時の那賀川筋水量は約1丈2尺(約3.6mの水高)。25日には引き続き暴風雨となり那賀川上流の木頭村で山腹崩壊し、27日午後5時30分には堆積した土砂が一大決壊して、下流の古毛・... 続きを読む
明治25年(1892)7月、豪雨により、上勝町田野々の葛又山で大崩壊が起こり、16人の犠牲者を出した。この時も、高磯山の崩壊と同様に、崩壊した土砂が河谷を埋めて天然ダムを形成した。 続きを読む